2007.10.12 (Fri)
『ホームレス中学生』を読んで
田村少年が過ごした公園と滑り台
麒麟という名の漫才コンビがいるが、その一人である田村裕の書いた『ホームレス中学生』というタイトルの本が売れに売れているという。私はタレント本などは買ったことがないので、その存在も知らなかったが、職場の若い衆が買って読んだというから、さっそく借りて、一気に読んでしまった。
内容は1993年7月20日、中学2年生の田村裕少年は、一学期の終業式を終えて、自宅に帰ってきた。が、家のマンションの1階に見覚えのある家具が並んでいたという。彼は何かを察し、2階にある自宅に行くのをたじろいだ。すると高校3年の姉、大学1年の兄がたて続けに帰ってきて、自宅の前で父親を待っていた。彼等の自宅の入り口には差し押さえのテープがクロスに貼ってあり、家に入れないようになっていたという。そうこうすると、父親が帰ってきて、いきなり次のように言った。
「ご覧の通り、まことに残念ではございますが、家のほうには入れなくなりました。厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きてください。・・・・・・・解散!!」
彼等の父親は、これだけ言うと真っ先に何処かへ去ってしまったのである。残された3人は、相談したが結局、田村裕少年が「僕は一人でなんとかするわ」と言って、彼だけ近くの公園で野宿生活を送る羽目になったという。最も兄と姉も同様ではあったが・・・・・。
彼等の母親は、既に3年前に亡くなっていて、その後、父親も癌になり、会社もクビになったという。その間の父親の金銭面の苦労話は詳しく書かれてはないが、差し押さえとなり一家離散に追い込まれたということである。そして、中学2年生の田村裕少年は、近くの『まきふん公園』(彼がそのように呼んでいる)で生活を始めるのである。巻貝をモチーフにした滑り台で寝て、草や段ボールをも食べ、自動販売機の下に落ちている小銭を拾ったり、鳩に餌をやっている人のパンの耳を頂いたり、雨で体を洗ったり、とにかく、現在の世の中で、こんな中学生が存在するのかといった思いで読み進んだのである。
本の内容は、公園でのホームレス生活がメインとなっているが、その後、如何にしてホームレスから免れ、兄弟3人で暮らせるようになるか、また、中学時代のこと、高校時代のこと、吉本興業に入る切っ掛けや、世話になった多くの人々のこと、さほど分厚い本ではないが、事細かに体験談として書かれてあって、殺伐とした事件の多い、今の時代において、一服の清涼剤といったような爽やかな読書感の漂う一冊である。
我々は現在、テレビで麒麟という漫才コンビを見ることが出来るが、田村裕という青年の過去に、このような凄まじい清貧生活を送った事実が、歴然としてあることに違和感を感じ得ないが、彼が人一倍、純粋無垢で心が澄んでいることに驚きを隠せないでいる。母親を愛し、母がいない世の中で、自分が生きていく価値が見出せず、死にたいと思っていた事実があり、また、生きていくことが母に対する親孝行だと芽生えた時点で、人の役に立ちたいと考えたという。その結果、彼は人を笑わすことを目指し吉本興業に入ったのである。
現在、彼等の元を去った父親が、生きているのかどうかも判らず、あるテレビ番組で父親が生きていることを知り、自分を見捨てた父親と一緒に暮らしたいという彼の優しさ、心の広さ、全てが、ある意味でこの本の中に集約しているといっても過言ではない。
ところで、彼がホームレス生活を送った公園は、今でも当時の姿を留めており、田村少年の寝た滑り台も残っている。場所は、大阪府吹田市山田西。団地と私立幼稚園、スーパーマーケットに囲まれ、静かな住宅地の中にある。彼は今でもこの公園を訪れるという。私もこの公園のある場所を知っていて、近くには万国博記念公園があり、エキスポランドの観覧車も、団地の上階に上がれば見えるところである。
私は今の日本で、それも都会の片隅で、中学生がホームレス生活を送ることがあるのだなあという実感と共に、明日は我が身かといった危うい時代に生きている自分に照らし合わせ、身を引き締める思いで読んだ。たかがタレント本、されどタレント本である。田村裕よ、感動を有難う・・・・。
『徹子の部屋』に出演した時の麒麟
麒麟という名の漫才コンビがいるが、その一人である田村裕の書いた『ホームレス中学生』というタイトルの本が売れに売れているという。私はタレント本などは買ったことがないので、その存在も知らなかったが、職場の若い衆が買って読んだというから、さっそく借りて、一気に読んでしまった。
内容は1993年7月20日、中学2年生の田村裕少年は、一学期の終業式を終えて、自宅に帰ってきた。が、家のマンションの1階に見覚えのある家具が並んでいたという。彼は何かを察し、2階にある自宅に行くのをたじろいだ。すると高校3年の姉、大学1年の兄がたて続けに帰ってきて、自宅の前で父親を待っていた。彼等の自宅の入り口には差し押さえのテープがクロスに貼ってあり、家に入れないようになっていたという。そうこうすると、父親が帰ってきて、いきなり次のように言った。
「ご覧の通り、まことに残念ではございますが、家のほうには入れなくなりました。厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きてください。・・・・・・・解散!!」
彼等の父親は、これだけ言うと真っ先に何処かへ去ってしまったのである。残された3人は、相談したが結局、田村裕少年が「僕は一人でなんとかするわ」と言って、彼だけ近くの公園で野宿生活を送る羽目になったという。最も兄と姉も同様ではあったが・・・・・。
彼等の母親は、既に3年前に亡くなっていて、その後、父親も癌になり、会社もクビになったという。その間の父親の金銭面の苦労話は詳しく書かれてはないが、差し押さえとなり一家離散に追い込まれたということである。そして、中学2年生の田村裕少年は、近くの『まきふん公園』(彼がそのように呼んでいる)で生活を始めるのである。巻貝をモチーフにした滑り台で寝て、草や段ボールをも食べ、自動販売機の下に落ちている小銭を拾ったり、鳩に餌をやっている人のパンの耳を頂いたり、雨で体を洗ったり、とにかく、現在の世の中で、こんな中学生が存在するのかといった思いで読み進んだのである。
本の内容は、公園でのホームレス生活がメインとなっているが、その後、如何にしてホームレスから免れ、兄弟3人で暮らせるようになるか、また、中学時代のこと、高校時代のこと、吉本興業に入る切っ掛けや、世話になった多くの人々のこと、さほど分厚い本ではないが、事細かに体験談として書かれてあって、殺伐とした事件の多い、今の時代において、一服の清涼剤といったような爽やかな読書感の漂う一冊である。
我々は現在、テレビで麒麟という漫才コンビを見ることが出来るが、田村裕という青年の過去に、このような凄まじい清貧生活を送った事実が、歴然としてあることに違和感を感じ得ないが、彼が人一倍、純粋無垢で心が澄んでいることに驚きを隠せないでいる。母親を愛し、母がいない世の中で、自分が生きていく価値が見出せず、死にたいと思っていた事実があり、また、生きていくことが母に対する親孝行だと芽生えた時点で、人の役に立ちたいと考えたという。その結果、彼は人を笑わすことを目指し吉本興業に入ったのである。
現在、彼等の元を去った父親が、生きているのかどうかも判らず、あるテレビ番組で父親が生きていることを知り、自分を見捨てた父親と一緒に暮らしたいという彼の優しさ、心の広さ、全てが、ある意味でこの本の中に集約しているといっても過言ではない。
ところで、彼がホームレス生活を送った公園は、今でも当時の姿を留めており、田村少年の寝た滑り台も残っている。場所は、大阪府吹田市山田西。団地と私立幼稚園、スーパーマーケットに囲まれ、静かな住宅地の中にある。彼は今でもこの公園を訪れるという。私もこの公園のある場所を知っていて、近くには万国博記念公園があり、エキスポランドの観覧車も、団地の上階に上がれば見えるところである。
私は今の日本で、それも都会の片隅で、中学生がホームレス生活を送ることがあるのだなあという実感と共に、明日は我が身かといった危うい時代に生きている自分に照らし合わせ、身を引き締める思いで読んだ。たかがタレント本、されどタレント本である。田村裕よ、感動を有難う・・・・。
『徹子の部屋』に出演した時の麒麟
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