2008.01.11 (Fri)
エドモンド・ヒラリー死去
夕刊の隅の方に載せてある僅かな記事「ヒラリー氏死去」に目が行った。最近はヒラリーというと大統領候補のヒラリー・クリントンを連想するだろう。でもこの記事の主は、エドモンド・ヒラリーである。1953年5月29日、シェルパのテンジンとともに世界の最高峰エベレストの初登頂に成功したニュージーランド人である。
私が子供の頃、何故、山に登るのか?・・と質問された登山家が「そこに山があるからだ」と答えたという逸話を聞いたとき、山登りをすることなんて、どんな意味があるのだろうかと考えたことがある。結局、登山家も何故、山に登るのか解らないのかもしれない・・・・。それに、山に登ることは人類の進歩とは何ら因果関係が無く、そこには経済的な生産性も日常性もない。だから山登りなんて暇人の意味のない無謀で愚かな行動に過ぎない・・・なんてことを言う人もいる。それで、世界の最高峰に登ったから偉大な人なのかと質問されれば、私は解らないと答えるだろうが、人が成し遂げたことのないことを最初に成功した人は、やはり偉いと言わなければならないだろう。そういう人がエドモンド・ヒラリーなのではないだろうか。
さて、話の続きである。山は山でも身近にある山などはハイキングがてらに軽装で登れるであろうが、標高2000mを超える峻烈な峰になると簡単にはいかなくなる。こうなると登山というものは冒険という類の領域に入ってくる。だから、私は山登りが人類の未来にとって余り意味のない行為だとは、けして思わないのは、山登りにはそれだけ労力と時間と経験が必要なのであると考えるからだ。そして、人間というのは冒険心を絶えず持っていないといけないのであって、それが無くなれば進歩という言葉も置き去りにされるのだと私は言いたい。
さて、エベレストという世界の最高峰の山が中国とネパールの国境にある。高さは諸説あって長い間8848mとされていた。ところが、2005年10月に、中国国家測量局が標高を8844.43mと発表した。しかし、ネパール政府は認め無かった。最近は地殻変動、地球温暖化により、標高は変動しているらしい。それで、そのエベレストは、ネパールでサガルマーター、チベットでチョモランマと呼ばれ、一般的にはインド測量局長官のイギリス人カーネル・サー・ジョージ・エベレストの名を冠したエベレストで通っている。
このエベレストは発見が遅く、世界に知れわたったのは19世紀のことであった。それで、エベレストに登ろうと考える連中は必ず現れるものである。そして、20世紀になり、1921年イギリス山岳会がエベレストを目指して6985mまで到達したのである。さらに、その翌年の1922年、イギリス山岳会の第2次遠征があり、エベレストの8225m地点に到達したのだった。
その後、イギリス山岳会は、1924年に第3次遠征を試みて、頂上にアタックしたが行方不明となってしまう。1933年にはイギリス山岳会が第4次遠征を敢行し、8570mまで登っている。
1934年には、M・ウィルソンが非合法登山敢行も凍死してしまう。1951年には、イギリス隊が、ネパールからアタックして、ノーマルルートの南東稜ルートを発見したという。
そして、1953年の5月29日に、イギリス隊に参加しているニュージーランド人エドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイの2人が、遂に難攻不落のエベレストの山頂に足跡を残したのである。この時、ヒラリーは頂上にいた15分から30分の間、テンジンの写真を撮ったという。またテンジンはカメラの使い方が解らないので、頂上に立つヒラリーの写真は残されてないのである。
このヒラリーとテンジンがエベレストの頂を征服するまで、数々の人が登頂を目指してアタックしたものの、その度に撥ね返され続けてきた。だから最初に成功した人は偉いのである。つまり誰もやってないことを成功させた人は、凄いのである。人類未踏の地に足を踏み入れたヒラリーとテンジン。結局は、彼らの成功例があるからこそ、後年の人が、同じ人間が成し遂げているから、我々も登れるのだという意識が働くものなのである。例を挙げると陸上競技に似ている。陸上競技などで、よく100m10秒の壁、200m20秒の壁、マラソンで2時間10分の壁とかいわれた時代がある。それで、またなかなかこの壁を破ることが出来なかった。しかし、一度、この壁が破られると、あっという間に壁を破る人がどしどし現れてくるのである。だから、登山もこれに似ていると思う。
誰も成し遂げたことのない偉業を一人の人が、達成してしまうと、次に達成する人は、意外と容易に達成してしまうことがある。これは最初の人の経験が糧になっていることもあるだろうが、それ以上に、誰かが出来たのだから、自分も出来るであろうといった精神的な働きが多いものと思える。だから何事も最初に成し遂げた人が一番えらいということになるのだ。
登山家なんて、何の存在価値があるのだという人も時々いることは確かだ。でも人間が、この科学文明の発達した時代において、自分の脚力だけで極限まで切り詰めて挑戦し続けるという行為は、勇気と体力、知力が備わってないといけないだろう。そして、絶えず死と隣り合わせの中で達成する喜びというものは、何事にも変えられない貴重な体験だと思える。だから私はエドモンド・ヒラリーは当然のように、称えられて然るべき人物なのだと考えるのである。
さて、ヒラリーとテンジンがエベレストの山頂に足跡を残してから早54年以上になる。その間、エベレストの山頂まで登った人は、現在まで2500人以上を数えるという。だから今時、エベレストに登頂したからといって、誰も興味を示さないしニュースにもならない。でも、ヒラリーとテンジンの名前だけは、何時までも残るのである。彼等が成功したお蔭で、後の人達が過去の成功例をベースに懸命に励行しているから、2500人以上もの人がエベレストに登れたのである。このことは考えるまでも無く、最初に達成した人は、やはり尊敬されるべきである。それでは88歳で亡くなったエドモンド・ヒラリーに黙祷を捧げましょう。
私が子供の頃、何故、山に登るのか?・・と質問された登山家が「そこに山があるからだ」と答えたという逸話を聞いたとき、山登りをすることなんて、どんな意味があるのだろうかと考えたことがある。結局、登山家も何故、山に登るのか解らないのかもしれない・・・・。それに、山に登ることは人類の進歩とは何ら因果関係が無く、そこには経済的な生産性も日常性もない。だから山登りなんて暇人の意味のない無謀で愚かな行動に過ぎない・・・なんてことを言う人もいる。それで、世界の最高峰に登ったから偉大な人なのかと質問されれば、私は解らないと答えるだろうが、人が成し遂げたことのないことを最初に成功した人は、やはり偉いと言わなければならないだろう。そういう人がエドモンド・ヒラリーなのではないだろうか。
さて、話の続きである。山は山でも身近にある山などはハイキングがてらに軽装で登れるであろうが、標高2000mを超える峻烈な峰になると簡単にはいかなくなる。こうなると登山というものは冒険という類の領域に入ってくる。だから、私は山登りが人類の未来にとって余り意味のない行為だとは、けして思わないのは、山登りにはそれだけ労力と時間と経験が必要なのであると考えるからだ。そして、人間というのは冒険心を絶えず持っていないといけないのであって、それが無くなれば進歩という言葉も置き去りにされるのだと私は言いたい。
さて、エベレストという世界の最高峰の山が中国とネパールの国境にある。高さは諸説あって長い間8848mとされていた。ところが、2005年10月に、中国国家測量局が標高を8844.43mと発表した。しかし、ネパール政府は認め無かった。最近は地殻変動、地球温暖化により、標高は変動しているらしい。それで、そのエベレストは、ネパールでサガルマーター、チベットでチョモランマと呼ばれ、一般的にはインド測量局長官のイギリス人カーネル・サー・ジョージ・エベレストの名を冠したエベレストで通っている。
このエベレストは発見が遅く、世界に知れわたったのは19世紀のことであった。それで、エベレストに登ろうと考える連中は必ず現れるものである。そして、20世紀になり、1921年イギリス山岳会がエベレストを目指して6985mまで到達したのである。さらに、その翌年の1922年、イギリス山岳会の第2次遠征があり、エベレストの8225m地点に到達したのだった。
その後、イギリス山岳会は、1924年に第3次遠征を試みて、頂上にアタックしたが行方不明となってしまう。1933年にはイギリス山岳会が第4次遠征を敢行し、8570mまで登っている。
1934年には、M・ウィルソンが非合法登山敢行も凍死してしまう。1951年には、イギリス隊が、ネパールからアタックして、ノーマルルートの南東稜ルートを発見したという。
そして、1953年の5月29日に、イギリス隊に参加しているニュージーランド人エドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイの2人が、遂に難攻不落のエベレストの山頂に足跡を残したのである。この時、ヒラリーは頂上にいた15分から30分の間、テンジンの写真を撮ったという。またテンジンはカメラの使い方が解らないので、頂上に立つヒラリーの写真は残されてないのである。
このヒラリーとテンジンがエベレストの頂を征服するまで、数々の人が登頂を目指してアタックしたものの、その度に撥ね返され続けてきた。だから最初に成功した人は偉いのである。つまり誰もやってないことを成功させた人は、凄いのである。人類未踏の地に足を踏み入れたヒラリーとテンジン。結局は、彼らの成功例があるからこそ、後年の人が、同じ人間が成し遂げているから、我々も登れるのだという意識が働くものなのである。例を挙げると陸上競技に似ている。陸上競技などで、よく100m10秒の壁、200m20秒の壁、マラソンで2時間10分の壁とかいわれた時代がある。それで、またなかなかこの壁を破ることが出来なかった。しかし、一度、この壁が破られると、あっという間に壁を破る人がどしどし現れてくるのである。だから、登山もこれに似ていると思う。
誰も成し遂げたことのない偉業を一人の人が、達成してしまうと、次に達成する人は、意外と容易に達成してしまうことがある。これは最初の人の経験が糧になっていることもあるだろうが、それ以上に、誰かが出来たのだから、自分も出来るであろうといった精神的な働きが多いものと思える。だから何事も最初に成し遂げた人が一番えらいということになるのだ。
登山家なんて、何の存在価値があるのだという人も時々いることは確かだ。でも人間が、この科学文明の発達した時代において、自分の脚力だけで極限まで切り詰めて挑戦し続けるという行為は、勇気と体力、知力が備わってないといけないだろう。そして、絶えず死と隣り合わせの中で達成する喜びというものは、何事にも変えられない貴重な体験だと思える。だから私はエドモンド・ヒラリーは当然のように、称えられて然るべき人物なのだと考えるのである。
さて、ヒラリーとテンジンがエベレストの山頂に足跡を残してから早54年以上になる。その間、エベレストの山頂まで登った人は、現在まで2500人以上を数えるという。だから今時、エベレストに登頂したからといって、誰も興味を示さないしニュースにもならない。でも、ヒラリーとテンジンの名前だけは、何時までも残るのである。彼等が成功したお蔭で、後の人達が過去の成功例をベースに懸命に励行しているから、2500人以上もの人がエベレストに登れたのである。このことは考えるまでも無く、最初に達成した人は、やはり尊敬されるべきである。それでは88歳で亡くなったエドモンド・ヒラリーに黙祷を捧げましょう。
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