2008.01.12 (Sat)
映画『パッチギ!』を観る
『パッチギ!』2004年製作
監督 井筒和幸
出演 塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ 楊原京子 尾上寛之
真木よう子 小出恵介 オダギリジョー
【あらすじ】1968年の京都。東高校2年の松山康介は、女の子にもてたいということしか興味が無かった。それで、グループサウンズの連中の髪型を真似て女の子の気を惹こうとしていた。そんな折、朝鮮高校と修学旅行生との喧嘩に巻き込まれる。でも東高校空手部と朝鮮高校との間でもいざこざは絶えなかった。そんな或る日、康介は担任の教師の指示から、争いの絶えない朝鮮高校へ親善サッカーの試合を申し込む羽目に成った。そして、親友の紀男と共に恐々、朝鮮高校へ訪れた。すると、そこで康介は、音楽教室から流れてくる美しい旋律に誘われるように、演奏されている教室を覗くのであった。その時、フルートを吹くキョンジャに康介は一目惚れしてしまう。ところが、彼女の兄は朝鮮高校の番長アンソンであることを知る。でも康介はキョンジャと仲良くなりたいがため、ギターを練習しようと思い楽器店へ行く。その楽器店では飲み屋の主人坂崎がギターで、この前に朝鮮高校で聴いた美しい曲を弾いていた。聞くところによると、その曲は朝鮮分断の悲しい現実を歌った『イムジン河』で、ザ・フォーク・クルセダーズが歌ったが、すぐにレコードが発売禁止になったという・・・・・・・。
この映画は2005年の正月に映画館で上映していたと思うが、私はあまり関心が無かった。それが、この正月にテレビで、ノーカット放映していたからついつい観てしまったのである。
パッチギとはハングル語で乗り越える、突き破るといった意味であり、また、頭突きの意味もある。・・・・・この物語は1968年の京都が舞台である。映画では、最初の方にオックスが出てきて『スワンの涙』を歌う。もちろん役者がオックスを演じているのだが、ヴォーカルの野口ヒデトやキーボードの赤松愛は雰囲気が似ていた。そこで、少女たちが失神していき、オックスのメンバーも失神するのである。こんなこともあったなあと、私は中学生の頃を思い出さずにはおれなかった。
この映画は井筒和幸監督の映画である。そのせいか知らないけれど、とにかく暴力シーン満載で、けしてお薦めできる作品ではない。けども現在の日本に公然と存在する歪んだ問題といえば、けして目を背けるばかりでは意味が無いと思う。何故なら、この映画は、どうしても日本が負い目になる朝鮮併合の弊害を題材にしているからである。
日本が1910年に朝鮮半島を併合して、教育も名前も全て日本式に変えさせた。そして強制連行で日本に連れてきて働かせた。つまり、その子孫の大半が今の在日朝鮮人である。この問題に井筒監督が取り組んだのである。映画は1968年の日本を舞台にした『ロメオとジュリエット』と言えばいいのだろうか、それとも『ウエストサイド物語』といえばよいのだろうか。
東高校と朝鮮高校との間で抗争があり、互いの高校に在校生として物語の主人公である康介とその彼女になるべくキョンジャがいる。康介はザ・フォーク・クルセダーズが歌った『イムジン河』を彼女に聴かせるために懸命にギターを覚えるのであった。この『イムジン河』は、当時、ラジオやテレビで放送禁止になったし、レコードも発売禁止になった。私は何故、『イムジン河』が発売禁止になったのか、中学生だった当時、その事情がよくつかめなかった。朝鮮総連の抗議があったとは聞いているが、放送禁止、レコード発売禁止にいたる過程は記憶しているが、その理由たるものが釈然としなかった。当時はさほど知識があるわけでもないから、ふーん、そんなものかと思ったぐらいである。
ところで、この映画で採り上げられるザ・フォーク・クルセダーズが『イムジン河』を歌ってはいけないと、実際に命じられた時は途方に暮れたという。それで仕方なく、フォーク・クルセダーズの3人は苦肉の策で、『イムジン河』のテープを逆回転させ、『悲しくてやりきれない』という曲を変わりに発売したという逸話が残っている。
この1968年、『帰ってきたヨッパライ』で一躍、時の人となったアマチュアのグループ、ザ・フォーク・クルセダーズ(この時はプロ)が地元、京都のあるホールでコンサートを行ったが、私は姉が余分にチケットを持っていたお蔭で、彼らの歌を生で聴く幸運に恵まれた。その時の印象は、コミックバンドかと勘違いするほど、面白く、端田宣彦が歌の最中に北山修の頭をビニール製の小槌で叩いたり、『ソーラン節』を歌ったり、かと思うと『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌ったり、とにかくステージで喋り捲り客を笑わし、まるで漫才トリオのようであったが、その後の日本の音楽界に、彼等が与えた影響や業績を考えると、とても凄い伝説的グループであったのだと、最近は私自身驚いているのである。
さて、この『パッチギ!』という映画は、日本が戦争で負けたことにより、朝鮮半島が開放されるのであるが、その後に米ソと体制の違う両大国の介入により、民族が分断されてしまう哀しみ怨念、そして日本への恨み・・・・・この映画を井筒監督が撮った本心は何処にあるのか判らないが、一般上映されるようになってから、売国奴だと嫌がらせを受けたり、暴力を助長するような映画だとか、とにかく賛否両論で、話題の多い映画となった。どちらにせよ、ただで転ばない井筒監督ではある。
ただ暴力シーンが頻繁に出てくる映画にしては、何か清々しく感じるのは、やはりフォーク・クルセダーズの曲のせいかもしれないが・・・とにかく、私の世代にとっては懐かしい曲ばかりで思わず歌ってしまったのである。『イムジン河』『悲しくてやりきれない』『あの素晴しい愛をもう一度』・・・・・ああ、懐かしい・・・・・・・命かけてと 誓った日から 素敵な思い出 残してきたのに あの時同じ花を見て 美しいといった二人の 心と心が 今はもうかよわない あの素晴しい 愛をもう一度・・・・・・・
『パッチギ!』の予告編
非常に懐かしい映像を発見した。『イムジン河』を歌うザ・フォーク・クルセダーズ 左から加藤和彦、端田宣彦、北山修(1968年のテレビ放送から)
フォークルも映画に出ていました。
監督 井筒和幸
出演 塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ 楊原京子 尾上寛之
真木よう子 小出恵介 オダギリジョー
【あらすじ】1968年の京都。東高校2年の松山康介は、女の子にもてたいということしか興味が無かった。それで、グループサウンズの連中の髪型を真似て女の子の気を惹こうとしていた。そんな折、朝鮮高校と修学旅行生との喧嘩に巻き込まれる。でも東高校空手部と朝鮮高校との間でもいざこざは絶えなかった。そんな或る日、康介は担任の教師の指示から、争いの絶えない朝鮮高校へ親善サッカーの試合を申し込む羽目に成った。そして、親友の紀男と共に恐々、朝鮮高校へ訪れた。すると、そこで康介は、音楽教室から流れてくる美しい旋律に誘われるように、演奏されている教室を覗くのであった。その時、フルートを吹くキョンジャに康介は一目惚れしてしまう。ところが、彼女の兄は朝鮮高校の番長アンソンであることを知る。でも康介はキョンジャと仲良くなりたいがため、ギターを練習しようと思い楽器店へ行く。その楽器店では飲み屋の主人坂崎がギターで、この前に朝鮮高校で聴いた美しい曲を弾いていた。聞くところによると、その曲は朝鮮分断の悲しい現実を歌った『イムジン河』で、ザ・フォーク・クルセダーズが歌ったが、すぐにレコードが発売禁止になったという・・・・・・・。
この映画は2005年の正月に映画館で上映していたと思うが、私はあまり関心が無かった。それが、この正月にテレビで、ノーカット放映していたからついつい観てしまったのである。
パッチギとはハングル語で乗り越える、突き破るといった意味であり、また、頭突きの意味もある。・・・・・この物語は1968年の京都が舞台である。映画では、最初の方にオックスが出てきて『スワンの涙』を歌う。もちろん役者がオックスを演じているのだが、ヴォーカルの野口ヒデトやキーボードの赤松愛は雰囲気が似ていた。そこで、少女たちが失神していき、オックスのメンバーも失神するのである。こんなこともあったなあと、私は中学生の頃を思い出さずにはおれなかった。
この映画は井筒和幸監督の映画である。そのせいか知らないけれど、とにかく暴力シーン満載で、けしてお薦めできる作品ではない。けども現在の日本に公然と存在する歪んだ問題といえば、けして目を背けるばかりでは意味が無いと思う。何故なら、この映画は、どうしても日本が負い目になる朝鮮併合の弊害を題材にしているからである。
日本が1910年に朝鮮半島を併合して、教育も名前も全て日本式に変えさせた。そして強制連行で日本に連れてきて働かせた。つまり、その子孫の大半が今の在日朝鮮人である。この問題に井筒監督が取り組んだのである。映画は1968年の日本を舞台にした『ロメオとジュリエット』と言えばいいのだろうか、それとも『ウエストサイド物語』といえばよいのだろうか。
東高校と朝鮮高校との間で抗争があり、互いの高校に在校生として物語の主人公である康介とその彼女になるべくキョンジャがいる。康介はザ・フォーク・クルセダーズが歌った『イムジン河』を彼女に聴かせるために懸命にギターを覚えるのであった。この『イムジン河』は、当時、ラジオやテレビで放送禁止になったし、レコードも発売禁止になった。私は何故、『イムジン河』が発売禁止になったのか、中学生だった当時、その事情がよくつかめなかった。朝鮮総連の抗議があったとは聞いているが、放送禁止、レコード発売禁止にいたる過程は記憶しているが、その理由たるものが釈然としなかった。当時はさほど知識があるわけでもないから、ふーん、そんなものかと思ったぐらいである。
ところで、この映画で採り上げられるザ・フォーク・クルセダーズが『イムジン河』を歌ってはいけないと、実際に命じられた時は途方に暮れたという。それで仕方なく、フォーク・クルセダーズの3人は苦肉の策で、『イムジン河』のテープを逆回転させ、『悲しくてやりきれない』という曲を変わりに発売したという逸話が残っている。
この1968年、『帰ってきたヨッパライ』で一躍、時の人となったアマチュアのグループ、ザ・フォーク・クルセダーズ(この時はプロ)が地元、京都のあるホールでコンサートを行ったが、私は姉が余分にチケットを持っていたお蔭で、彼らの歌を生で聴く幸運に恵まれた。その時の印象は、コミックバンドかと勘違いするほど、面白く、端田宣彦が歌の最中に北山修の頭をビニール製の小槌で叩いたり、『ソーラン節』を歌ったり、かと思うと『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌ったり、とにかくステージで喋り捲り客を笑わし、まるで漫才トリオのようであったが、その後の日本の音楽界に、彼等が与えた影響や業績を考えると、とても凄い伝説的グループであったのだと、最近は私自身驚いているのである。
さて、この『パッチギ!』という映画は、日本が戦争で負けたことにより、朝鮮半島が開放されるのであるが、その後に米ソと体制の違う両大国の介入により、民族が分断されてしまう哀しみ怨念、そして日本への恨み・・・・・この映画を井筒監督が撮った本心は何処にあるのか判らないが、一般上映されるようになってから、売国奴だと嫌がらせを受けたり、暴力を助長するような映画だとか、とにかく賛否両論で、話題の多い映画となった。どちらにせよ、ただで転ばない井筒監督ではある。
ただ暴力シーンが頻繁に出てくる映画にしては、何か清々しく感じるのは、やはりフォーク・クルセダーズの曲のせいかもしれないが・・・とにかく、私の世代にとっては懐かしい曲ばかりで思わず歌ってしまったのである。『イムジン河』『悲しくてやりきれない』『あの素晴しい愛をもう一度』・・・・・ああ、懐かしい・・・・・・・命かけてと 誓った日から 素敵な思い出 残してきたのに あの時同じ花を見て 美しいといった二人の 心と心が 今はもうかよわない あの素晴しい 愛をもう一度・・・・・・・
『パッチギ!』の予告編
非常に懐かしい映像を発見した。『イムジン河』を歌うザ・フォーク・クルセダーズ 左から加藤和彦、端田宣彦、北山修(1968年のテレビ放送から)
フォークルも映画に出ていました。
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