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2008.01.18 (Fri)

吾が青春時代の映画を観る・・・・・『イージー・ライダー』

 『イージー・ライダー』1969年製作 アメリカ映画

 監督 デニス・ホッパー

 出演 ピーター・フォンダ
     デニス・ホッパー
     アントニオ・メンドーサ
     ジャック・ニコルソン
     カレン・ブラック

 【あらすじ】マリファナの密輸で大金を手にしたキャプテン・アメリカとビリーは、フル・カスタマイズされた大型のチョッパー型オートバイに乗って旅に出る。南部を目指して、ただひたすら走り続ける。途中、ヒッピーの集落に入るも、2人は拒絶される。先を目指す2人は旅を続けなければならない。次に彼らは、やって来た町のパレードに無許可で参加し、留置所にぶち込まれる。そこでは、弁護士ジョージもいて、彼と知り合い、今度は3人で旅に出る。3人の目指すべきところは、ニューオーリンズの謝肉祭である。しかし、彼らの行く手には災難が・・・・・・。自由の国アメリカの真の姿を求めた彼等であったが、南部で直面した現実という大きな壁・・・・・・・。

 この映画が初めて上映された頃というのは、B級映画扱いでマニアックな人以外、さほど話題に上がらなかったと思う。それが、月日を経て、徐々にアメリカン・ニューシネマを代表するカルト映画の傑作として語られるようになっていく。

 この映画が、最近語られるような素晴らしい映画であったかどうか評価は分かれるところであるが、少なくとも当時から多くの若者に支持された映画であることは確かである。・・・・・バイク、マリファナ、ヒッピー。今の若者に、1960年代末期から1970年代初頭がどんな時代であったか、説明しても意味が無いと思う。この時代は御しきれない何か一つの大きな潮流があって、それが若者文化として巨大に花開いていた頃である。

 アメリカで言うならベトナム戦争が激化していたし、中国で言うなら毛沢東の文化大革命があり、日本でも全共闘の活動が最も峻烈を極めていた。だからあの当時に生きてない人に、どんな時代であったかを説明するのに一万語を使っても言い表わせるものでもないし、時代の違いを解いてもほとんど無意味と思える。大袈裟ではあるが、とにかく若者が何かを変えるのだといった風潮が、世界全体にあったような気がする。つまり、そんな頃に作られた映画が『イージー・ライダー』なのである。

 時代はまさにアメリカの激動期。公民権運動が盛んで、ベトナム戦争の泥沼化により、アメリカの行く末に暗雲が漂っていて、それは映画にも反映された時期であった。この当時、若者は、それまで繁栄を謳歌したアメリカという国に突如、反旗を翻した。アメリカの若者達は、自ら動き出し、嘘と偽りで染められたアメリカという国を疑いだした。そういった動きが、ポリシー、音楽、ファッション、映画にまで顕著に現れ、とうとうアメリカン・ニューシネマという独自のスタイルの映画を
生み出したのである。

 アメリカン・ニューシネマ以前のハリウッド映画というのは、相変わらず能天気なスペクタクル映画、歯の浮くような恋愛物、古色蒼然としたミュージカル映画、時代錯誤の西部劇等、現実性を無視したスター偏重の娯楽作品が大多数を占めていた。その結果、アメリカの映画産業も日本と同様、斜陽産業になりかけていたのである。だから、映画の大きな変換期でもあったし、多くの映画ファンは新しい流れを期待していたのでもある。そして、登場したのがアメリカン・ニューシネマであった。

 アメリカン・ニューシネマというのは、素晴らしいアメリカを謳うような自画自賛の映画ではなく、アメリカの悩める問題にメスをいれ、アメリカの恥部をむしろ披瀝するような現実を直視する映画である。それでこの1960年代後半から1970年代前半にかけて、この手の映画が増えてくることとなる。この時代の映画はスター主義ではなく、作品の娯楽性よりも内容に焦点が定められるようになった。

 『俺たちに明日はない』『卒業』『ワイルド・バンチ』『真夜中のカーポーイ』『明日に向って撃て!』『M★A★S★H』『ファイブ・イージー・ピーセス』『いちご白書』『ラスト・ショー』『フレンチ・コネクション』・・・・・・。何処か青春の匂いがするのは、それまでの娯楽主義のハリウッド映画ではないからだろうか・・・・。そんなアメリカン・ニューシネマの傑作の一つとして『イージー・ライダー』は語られることが多い。

 当時の典型的な若者ファッションというか、長髪、サングラス、ジーンズに身を固め、ハーレー・ダビッドソンの巨大オートバイをカスタマイズし、それに跨って南部へ向かって旅に出る。映画はロード・ムービーなのであるが、その彼等に降りかかるアメリカの現実。自由であるはずの国アメリカで、実は保守的な人による弾圧が彼等を待ち受ける。南部に近づけば近付くほど、外見からしてヒッピー風の2人に対する風当たりは強くなってくる。ある村では保安官をはじめとして村の人が悉く悪意の目で彼等を眺める。とうとう野宿している彼等を村人が襲撃する。難を逃れたキャプテン・アメリカとビリーではあるが、ジョージは殴打され死んでしまう。

 難を逃れた2人は南部深くまで入っていくが、やがては彼等を快く思わない一般の人に爪弾きにされる。これが自由の国であるはずのアメリカの悩める側面なのである。アメリカの保守性を呪訴し自由は微塵も感じられない・・・・・。かつてアメリカの豊かさに触れ、アメリカ文化に憧れた日本は、この時代を境にして目標を大きく失っていく。そして、日本が経済大国として、エコノミック・アニマルとして世界に君臨し始める過渡期であっただろうか。アメリカは自ら、自分の国にダメだしをしたのである。また、そんなアメリカン・ニューシネマ全盛期の頃、どういう訳か私は青春時代を過ごし、アメリカという国に、アメリカという国の文化に嫌気がさしたのも事実であり、まだ成熟度の足りなかった日本の文化にも物足りなさを感じていたものである。

 『イージー・ライダー』のオープニング。ステッペンウルフの演奏による元祖ヘビー・メタル『ワイルドで行こう(Born to be wild)』の曲にのって、2人のオートバイが疾走する。

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