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2008.01.29 (Tue)

グレン・ミラーを聴く

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 子供の頃、我が家には78回転のSP盤レコードが数え切れないほどあった。私の死んだ親父が持っていたものであるが、その多くは東海林太郎、藤山一郎、ディック・ミネ、李香蘭などの戦前の流行歌のレコードであった。でも、何故か一枚だけジャスが混じっていて、そのレコードを蓄音機でよく聴いていた。それで、その曲というのが『ムーンライト・セレナーデ』であり、裏が『茶色の小瓶』だった。外国のジャズなんて聴く趣味のない親父が、どうしてそんなSP盤を持っていたのか未だに判明しないが、とにかく所有していたことは確かであり、それをよく私は聴いたものである。

 電気ではなくハンドルを一生懸命回してスイッチを入れるとレコード盤が高速で回転する。後の33回転のLP盤、45回転のドーナツ盤と違って、落とせば割れる直径25cmのSP盤である。表1曲、裏1曲。それを鉄の針で聴く。音質は今日の物とは比較にならないほど劣悪である。でも、そんなレコード盤に興味を持って私は頻繁に聴いていた。だから『ムーンライト・セレナーデ』と『茶色の小瓶』はすっかり覚えてしまい、小学校に入学したばかりの私は、よくそのメロディを口ずさんでいたものだ。大人はどのように思ったか知らないが、ジャズのメロディを口ずさむガキは、さぞや生意気に見えただろう。でも私はメロディは覚えていたが、曲名はおろか誰の演奏かもまったく知らなかった。そして、その全てが判るようになったのは中学生の時であった。

 テレビの洋画劇場で『グレン・ミラー物語』を観た。その時に、小さい頃に聴いていたジャズはグレン・ミラーの曲だったということを知るのである。映画はジェームズ・スチュアートがグレン・ミラーになりきりトロンボーンを演奏していた。

 グレン・ミラーは1904年にアイオワで生まれ、トロンボーンとの出会いから、やがてベン・ポラック楽団のトロンボーン奏者となり、2年後に退団して、ニューヨークに行き編曲の勉強をする。1937年には自身の楽団であるグレン・ミラー楽団を結成する。1939年にはニューヨークで人気者となり、トロンボーン奏者、バンド・リーダー、作曲者、アレンジャーと八面六臂の大活躍。グレン・ミラー独自のサウンドを作り出し、5サックス、4トランペット、4トロンボーン、4リズムといった典型的なビッグバンド・スタイルを最初に確立し、甘くロマンティックなサウンドを披露した。

 また彼はベニー・グッドマンと同様の白人であるが、デューク・エリントン、カウント・ベイシーらと共にビッグ・バンドのスウィング・ジャズを代表するミュージシャンとして一世を風靡したのである。

 グレン・ミラーの代表曲としては『ムーンライト・セレナーデ』『茶色の小瓶』『真珠の首飾り』『イン・ザ・ムード』『アメリカン・パトロール』等が挙げられるが、何れも良く知られたナンバーで、日本のビッグ・バンド等も必ず演奏する曲と言っても過言ではない。

 ただ、こんなグレン・ミラーであったが、1944年12月15日に帰らぬ人となる。第二次世界大戦の最中、ヨーロッパへ兵士の慰問演奏のため行っていたグレン・ミラーの乗った飛行機が、ドーバー海峡で消息を絶ち、結局は生きて帰ることはなかった。そのとき、グレン・ミラーはまだ40歳だったから真に残念である。

 戦後になり、グレン・ミラー亡き後、オーケストラの団員がグレン・ミラー楽団として長きに亘って活躍している。

 その昔、我が家にも、これと似たような蓄音機があり、私は『ムーンライト・セレナーデ』をよく聴いていた。


 『イン・ザ・ムード』を演奏するグレン・ミラー・オーケストラ。グレン・ミラー自らトロンボーンを吹いている貴重な映像(1940年)。

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