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2008.01.13 (Sun)

ジャズ・アルバムを聴く・・・・・デイヴ・ブルーベック・クァルテット『タイム・アウト』

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 『テイク・ファイブ』という非常にのりのいい曲を、初めて聴いたのは何時頃だったのだろうか。とにかく調子のいいリズムで聴いていて体が動くのである。その頃、その曲のリズムとメロディはすっかり私の中に染み付いていたが、誰の曲なのか、その題名さえも知らなかった。

 結局、デイヴ・ブルーベック・クァルテットの代表的な曲で、『テイク・ファイブ』という曲だということを知るのは、高校生の頃だったと思う。FM放送でのジャズ番組で突如として流れ出した。私は「あー!この曲だ」と思った。ところが、今度はデイヴ・ブルーベック・クァルテットのことが知りたくて、大手の書店に行きジャズの雑誌や書物を立ち読みした覚えがある。そして、今度は白人中心のバンドだったことに驚いた。

 リーダーであるピアニストのデイヴ・ブルーベックは1920年にカリフォルニアで生まれている。ピアニストだった母に4歳からピアノの手ほどきを受け、9歳でチェロを弾いたらしい。大学の時にはシェーンベルク、ミヨーという有名な作曲家から指導を受けるなど、一貫してクラシック音楽畑の人間だったという。

 一方、ポール・デスモンドは、1924年にサンフランシスコで生まれ、高校でクラリネットを学ぶが、サックス・プレーヤーとなり。デイヴ・ブルーベックと知り合い、やがてデイヴ・ブルーベック・クァルテットでアルト・サックス奏者として活躍することとなる。

ジョー・モレロというドラマーがいる。この白人ドラマーもデイヴ・ブルーベック・クァルテットの一人だが、この見事で流麗なスティックさばきには見惚れてしまうが、この人は1928年生まれで、生まれつき視力が弱く、聴覚とリズム感で補うようにドラムスを会得したのである。

 以上三人がデイヴ・ブルーベック・クァルテットの主要人物であるが、そこへベースのジーン・ライトが加わって、この名作『テイク・ファイブ』が録音されたのは1958年のことである。ジャズというのはニューオーリンズから生まれた黒人音楽で、その音楽シーンの中心はやがてシカゴやニューヨーク等に移り、西部ではジャズ不毛と思われていたが、デイヴ・ブルーベック・クァルテットは西海岸で生まれたウェストコースト・ジャズである。でも当初、ジャズとはいえ少し違和感を感じたのは、変拍子ジャズだからだろうか。ジャズの場合、2拍子、4拍子以外のものをタイムアウト(変拍子)と呼び、その代表的なジャズが、この『タイム・アウト』なのである。

 レコーディングされている曲は全部で7曲。『トルコ風ブルー・ロンド』『ストレンジ・メドウ・ラーク』『テイク・ファイブ』『スリー・トゥ・ゲット・レディ』『キャシーズ・ワルツ』『エヴリバディーズ・ジャンピン』『ピック・アップ・スティックス』

 余りにも有名な『テイク・ファイブ』は3曲目である。4/5拍子という変拍子にポール・デスモンドのアルト・サックスのメロディが栄える。またジョー・モレロの巧みなドラム・ソロに思わず唸る。総体的にこのアルバムは、9/8拍子で始まったり、4/4拍子があったり、6/4拍子があったり特異でもあるが、気のきいたおしゃれな都会風ジャズという感じも受ける。ある意味ではボサノヴァに繋がるのかもしれないが、それまでの黒人ジャズとも違っている。好きか嫌いか評価は分かれるだろうが、一時代に好評を博したジャズであることは確かだ。ただ残念ながら、この中の『テイク・ファイブ』を書いたポール・デスモンドは1977年に死去しているので、デイヴ・ブルーベックとの共演は2度と見れなくなっている。

 デイヴ・ブルーベック・クァルテットによる演奏『テイク・ファイプ』
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