2008.02.03 (Sun)
恵方巻き
節分である。私が子供の頃、節分というのは豆まきをするのが慣わしであった。枡に入れた豆をまきながら「鬼は外、福は内」という。これは昔からある節分の習慣である。でも最近は全国的に恵方巻きなんて習慣が蔓延って来て、だんだんと豆まきがされなくなったという。考えてみると豆まきは散らかるし、豆を食べても腹は膨らまない、それなら太巻きの寿司を買って食べれば、夕食の替わりになるし一石二鳥というものだから、全国的に恵方巻きなんてものが流行りだす。これは主婦にとっては都合がいい。だから流行るのかもしれない。
ところで、この恵方巻きなんて習慣が昔からあったなんて知らなかった。よく関西が発祥の地だといわれるが、私も関西の真ん中に長いこと住んでいる人間だ。でも社会に出るまで知らなかった。それで何処の習慣なのかと調べてみたら、大阪の船場の習慣だということが判った。
聞く所によると江戸末期に船場の商人が商売繁盛の祈願をするために始めたとかいわれるが定かではない。また豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴が、節分の前日に巻き寿司を食べて出陣し、勝利を収めたことに起源を発しているなんて説もあるが、これもはっきりしていない。つまり諸説あって何時頃、誰が始めたのか今となっては判らないという。
ただ大阪の人に聞くと、子供の頃から恵方巻きという習慣を行っていた家と、そんなことがあるのも知らなかったという人に分かれる。だから大阪においても一般的な習慣ではなかったのだ。それが何時頃か判らないけれど、節分には太巻き寿司をまるかじりするのだとテレビなどで言いだした。少なくとも30年も前には、そのような習慣は広まってなかったと思う。どうせ誰か仕掛け人がいて、広めようとしたのだろうと思っていたが、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事等から広まったという。
やはりバレンタインデーのチョコレートと同じで、仕掛け人はその手の関係者と思っていたが、こうでもしないと海苔が売れないのだろうか。確かに私の子供の頃は、寿司というと海苔巻きが中心で、握り寿司など食べさせてもらえなかったから、今よりも海苔巻きの需要はあっただろう。でも最近は回転寿司の発達で安価な握り寿司が食べられるようになったので、子供達は贅沢が身につき、巻き寿司など目もくれなくなったのかもしれない。ただ、それでも節分に食べる海苔巻きも、なかなか普及せず京都でも知る人はほとんどいなかった。それが何時の間にか恵方巻きなんて呼び方があるのも知れ渡り、あっという間に全国的になったという。それもこの4、5年のことらしいのだが・・・。
そのきっかけが広島のセブンイレブンで売り出した太巻きだという。大阪ではなく広島だというのも面白いが、節分になると太巻き寿司を売り出して、やがて徐々に地域を拡大し、今世紀に入って全国的に広まったと言う。ただ、大阪で子供の頃からその習慣に馴染んでいる人に聞くと、昔は恵方巻きなんて呼ばず、節分の巻き寿司という風に読んでいたという。それでもっと細くて、短い巻き寿司だったという。でも縁起かつぎの意味もあって急速に広まったものかもしれないが、このところはロールケーキを食べるなんておかしなことを言い出す輩が現れた。太巻き寿司とロールケーキに何の因果関係があるのだろうか・・・。ここまで来ると、単なる便乗としか言いようが無い。最も私は恵方巻きなんて、一度もやったことがないけども・・・・。
ところで、この恵方巻きなんて習慣が昔からあったなんて知らなかった。よく関西が発祥の地だといわれるが、私も関西の真ん中に長いこと住んでいる人間だ。でも社会に出るまで知らなかった。それで何処の習慣なのかと調べてみたら、大阪の船場の習慣だということが判った。
聞く所によると江戸末期に船場の商人が商売繁盛の祈願をするために始めたとかいわれるが定かではない。また豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴が、節分の前日に巻き寿司を食べて出陣し、勝利を収めたことに起源を発しているなんて説もあるが、これもはっきりしていない。つまり諸説あって何時頃、誰が始めたのか今となっては判らないという。
ただ大阪の人に聞くと、子供の頃から恵方巻きという習慣を行っていた家と、そんなことがあるのも知らなかったという人に分かれる。だから大阪においても一般的な習慣ではなかったのだ。それが何時頃か判らないけれど、節分には太巻き寿司をまるかじりするのだとテレビなどで言いだした。少なくとも30年も前には、そのような習慣は広まってなかったと思う。どうせ誰か仕掛け人がいて、広めようとしたのだろうと思っていたが、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事等から広まったという。
やはりバレンタインデーのチョコレートと同じで、仕掛け人はその手の関係者と思っていたが、こうでもしないと海苔が売れないのだろうか。確かに私の子供の頃は、寿司というと海苔巻きが中心で、握り寿司など食べさせてもらえなかったから、今よりも海苔巻きの需要はあっただろう。でも最近は回転寿司の発達で安価な握り寿司が食べられるようになったので、子供達は贅沢が身につき、巻き寿司など目もくれなくなったのかもしれない。ただ、それでも節分に食べる海苔巻きも、なかなか普及せず京都でも知る人はほとんどいなかった。それが何時の間にか恵方巻きなんて呼び方があるのも知れ渡り、あっという間に全国的になったという。それもこの4、5年のことらしいのだが・・・。
そのきっかけが広島のセブンイレブンで売り出した太巻きだという。大阪ではなく広島だというのも面白いが、節分になると太巻き寿司を売り出して、やがて徐々に地域を拡大し、今世紀に入って全国的に広まったと言う。ただ、大阪で子供の頃からその習慣に馴染んでいる人に聞くと、昔は恵方巻きなんて呼ばず、節分の巻き寿司という風に読んでいたという。それでもっと細くて、短い巻き寿司だったという。でも縁起かつぎの意味もあって急速に広まったものかもしれないが、このところはロールケーキを食べるなんておかしなことを言い出す輩が現れた。太巻き寿司とロールケーキに何の因果関係があるのだろうか・・・。ここまで来ると、単なる便乗としか言いようが無い。最も私は恵方巻きなんて、一度もやったことがないけども・・・・。
2008.02.03 (Sun)
バッハを聴く・・・・・無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001~1006は、ソナタとパルティータの3曲ずつ計6曲からなり、何れもヴァイオリンの独奏の曲なのであるが、ソナタの方は緩急緩急の4楽章からなり、第2楽章にフーガをおいている。それに対してパルティータはアルマンド、クーランド、サラバンド、ジーグ、ルール、ガヴォット、メヌエット、ブーレといった舞曲を集めた形式のもので、これら6曲からなる無伴奏ヴァイオリンの曲は、大バッハことヨハン・セバスチャン・バッハ35歳の頃に作曲されたという。
バッハが35歳の頃というと1720年であるから、ワイマールの宮廷オルガン奏者を辞職して、アンハルト・ケーテン公、レオポルト伯爵家の宮廷楽長となってから3年後のことになる。この時代に無伴奏ヴァイオリンのための6曲が作曲されているのであるが、この時期のバッハは最も脂が乗り切っている頃である。それというのもワイマール時代のように教会音楽やオルガン曲を作る義務がなくなったことで、就縛から解き放され、泉の如く湧き出る才能をあらゆる楽器のための作曲に注ぐことが自由に出来るようになったからであろう。だからこの時期、バッハのオルガン曲以外の重要な曲のほとんどが作曲されている。例えば『無伴奏チェロ組曲』『ブランデンブルグ協奏曲』『フランス組曲』『イギリス組曲』『管弦楽組曲』等、バッハの代表的な曲の多くは、このケーテン時代と言われる頃に作曲されている。そんな中で無伴奏ヴァイオリンのためのパルテイータは優れた楽曲である。3曲あるが最も有名なのが無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004だろう。
全5楽章からなり、1楽章アルマンド、2楽章クーランド、3楽章サラバンド、4楽章ジーグ、5楽章シャコンヌという形式である。中でも5楽章のシャコンヌはバッハの数ある器楽曲の中でも傑作とされ、単独で演奏されることも多く管弦楽版、ピアノ版、ギター版というのもある。シャコンヌはスペインに昔からある3拍子の舞曲であるが、バッハはここで主題と30の変奏で構成させ、8小節単位で30の変奏を取り入れている。重厚な中にも華やかさのある崇高な楽曲である。私はシャコンヌを聴くと何時も体がシャキと引き締る気がする。やはりバッハは偉大成り、流石、音楽の父である。
『シャコンヌ』を弾くヤッシャ・ハイフェッツ
| BLOGTOP |