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2008.02.09 (Sat)

アーサー・コナン・ドイルの『緋色の研究』を読む

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 世の中には名探偵シャーロック・ホームズが、実在の人物だと思っている人が多いらしい。だからロンドンのベーカー街221Bに、シャーロック・ホームズ宛で手紙が今でも来るという。この話は冗談かと思っていたのだが、現実だと聞いて驚いたことがある。確かに探偵という職業はあるが、あれだけ何でも解決してしまう探偵がいれば警察なんて必要ないし、またあまりにも超人的過ぎる。でも実際に存在して欲しいなんて気もするが。

 でもシャーロック・ホームズの名は知っているが、アーサー・コナン・ドイルの名前を知らないという人も多い。誰だそれは?・・・・と思われる人も実に多いだろうが、それなら名探偵コナンといえば知る人も多い。名探偵コナンはマンガからアニメになり、テレビで高視聴率を稼いだが、コナンという名はアーサー・コナン・ドイルから採られた名前であるということが私の世代ではすぐに判る。

 アーサー・コナン・ドイルは、1859年にスコットランドのエディンバラで生まれた。エディンバラ大学の医学部に入り、医師の助手となり、捕鯨船に乗り込んで医師として働いた後、正式にアフリカ航路の船医として任務に就いた。その後は診療所を開いたものの暇の時が多く、その間に幾つかの小説を書き溜めたのである。そして、1887年にシャーロック・ホームズを主人公とする探偵小説『緋色の研究』を雑誌に発表。これが大ベストセラーとなり、それから数10年の間に世界中で読まれるようになったということである。

 書いた本人も仰天するほどの人気ぶりに、シャーロック・ホームズは一人歩きし、やがてフランスのモーリス・ルブランは対抗する意味で、怪盗アルセーヌ・ルパンを主人公とする小説を書いたことは有名である。

 やがて世界中で読まれるようになったシャーロック・ホームズの物語は、実在の人物であると錯覚を起こし、ホームズと相棒のワトスン博士が共同で住んでいるロンドンのベーカー・ストリート221Bに、手紙が世界中から送られてくるというから大したものだ。でもシャーロック・ホームズは知っていても作者で、ホームズの生みの親であるコナン・ドイルの名前を知っている人は意外と少ないのである。これなどは如何に作品がどんどんと大きくなって、虚構と現実との区別がつかなくなってしまった典型的な例だろうけども、コナン・ドイルはこういった現象をどう思っていたのだろうか・・・・・。

 ところで、数あるシャーロック・ホームズの物語は大半が短編であり、長編は4篇しかない。そして、その最初の作品が『緋色の研究』なのである。それでは、その内容を少しだけ・・・。

 シャーロック・ホームズはワトスン博士が考察するところでは、身長6フィート以上、鷲鼻で角ばった顎が目立ち、性格は冷静沈着、アントニオ・ストラディヴァリ製作のヴァイオリンを弾く名手で、ボクシングはプロ級、化学実験を趣味とし、へビースモーカーで常時パイプを咥えている。また時々、暇の時にピストルで壁に発砲してイニシャルを書いたり、モルヒネに惑溺する悪癖があり、女性嫌いであるが、女性の勘には一目置いており、紳士的に接する。ただし、文学、哲学、天文学の知識はなし。政治学の知識は僅かという異色な人物である。

 そもそもワトスン博士はイギリスの軍医として、アフガニスタンの戦場に赴いていたが、ジザイル弾で肩をうたれ、イギリスに送還された。帰ってきたもののやることもなく、ふとしたことからシャーロック・ホームズという男と共同生活を送ることとなった。だが、そのシャーロック・ホームズという男は初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰ってきたことを含め、ワトスンの前歴を言い当てるなど、観察力、洞察力、推察力、どれをとっても比類なきものを持っていた。そんな或る日、彼らの元に、スコットランドヤード(ロンドンの警察)の刑事から殺人事件が発生したとの手紙が届き、ワトスンはホームズについて現場に向ったのである。殺されていたのはイーノック・ドレッバーの名刺を持っていた中年男。壁には復讐と血で書かれた文字があり、女の結婚指輪が落ちていた。この怪事件にとまどう警察当局を尻目に、ホームズの推理は冴え渡る。はたして結末は・・・・・・・。

 要するにワトスン博士というのは、アーサー・コナン・ドイルといってもいいだろう。コナン・ドイルから見たシャーロック・ホームズという図式である。でもこの小説が予想外に売れてしまい、作家として生きる決心をするものの、本人はシャーロック・ホームズの名前が一人歩きすることを快く思っていなかったと見える。実際にコナン・ドイルは1891年、母に宛てた手紙の中で「僕はホームズの殺意を考えている。・・・そして彼を永久に消してしまいたい。ホームズは僕の心をよりよいものから取っ払ってしまった」と書いている。自分が生み出したホームズが有名になり、その一方で悩んでいたのでないだろうか。けして書きたい小説ではなかったのだともいえる。

 その後、コナン・ドイルは『失われた世界』『勇将ジェラールの回想』といったSFや歴史物を書いていて、シャーロック・ホームズには言及していない。彼自身の中にもけして優れた小説とは考えてなかったようである。でも、人々は支持し人気を得て、その後の探偵小説、推理小説に多大な影響を与えてしまったのである。おそらく世界の推理小説において、エドガー・アラン・ポーと共に、コナン・ドイルは並び称される人物であることに異論は無いと思う。今や探偵というと、そのスタイルまでが、シャーロック・ホームズの出立を真似るという有様である。本人は不本意であったが、シャーロック・ホームズは何時までも生き続ける永遠のヒーローなのである。
                                                    
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