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2008.02.22 (Fri)

古い映画を観る・・・・・『道』

 『道』1954年製作 イタリア映画

 監督 フェデリコ・フェリーニ

 出演 アンソニー・クイン
     ジュリエッタ・マシーナ
     リチャード・ベースハート
     アルド・シルヴァーニ
     マルセーラ・ロヴェーレ

 【あらすじ】怪力男の大道芸人ザンパノが助手となるべき頭の弱い女ジェルソナを一万リラで買った。しかし、実際には奴隷に近い扱いであった。でも男の粗野な振る舞いにも逆らわず、旅する大道芸人ザンパノと一緒にジェルソミーナは旅を続けるのである。でも、何時か彼女はザンパノに捨てられる。何時しかザンパノは、ある町で彼女がよく口ずさんでいた歌を耳にする。ここでジェルソミーナが数年前に亡くなった事を知る。野卑な男のザンパノは、、この時、僅かに残っていた人間の心が甦る・・・・。

 フェデリコ・フェリーニという映画監督は、イタリアン・ネオ・リアリズムが生み出した巨匠というべきなのか、今日では映画界において轟きわたっている。私がフェデリコ・フェリーニ監督の作品を初めて観たのが小学生の頃であって、『8 1/2』という映画だった。何だか幻想的なシーンが到る所に出てきて、かなり難解な作品であり、小学生の私には到底、理解しがたい映画であった。次にフェリーニ作品を観たのは、私が高校生の頃で、その作品は『サテリコン』であった。だが、この作品も私の思考能力を超える難しさがあって、楽しめる映画ではなかった。このように私の中で、何時しかフェリーニ作品は難しいという固定概念が焼きついてしまっていた。なのに私は大学に通っていた頃もフェリーニの映画は観続けていた。『フェリーニのローマ』『フェリーニのアマルコルド』・・・・この2作品は、『8 1/2』や『サテリコン』よりは楽しめたが、アメリカのハリウッド映画のような判りやすさからは、ほど遠い作品であった。こうして私の中では、フェリーニの映画は取っ付きにくいという印象が、何時までも離れなかったのである。

 人が巨匠だ大監督だといっても、作品の何処が素晴らしいのか当時の私には消化出来ないものがあったように思う。その後、私も社会人になり、フェリーニの過去の作品を何度か観る機会を得た。すると、それまで持っていたイメージとは違って、実に判りやすい映画をそれ以前は撮っていたのだということが判ったのである。つまり私がフェリーニ作品に接した頃から、作品の方向性が変わって行ったというべきなのかもしれない。その前の作風と『8 1/2』以降との作風とは明らかに違っているように思えるのである。何故に彼の作品が難解な方向に変わっていったのか知る由もないが、現代のイタリア映画界でも偉大なる巨匠として名を残していることは確かなのである。

 フェリーニという人は1920年生まれというから、日本で言うと大正9年生まれということになる。映画界の数いる巨匠の中でも、比較的に若い世代と言ってもいいだろう。それでフェリーニは19歳の時、漫画を描いたり、詐欺やペテンまでを働いたというアウトローなのである。それが、一座の座付け作者として地方巡業に出て、まもなくラジオ・ドラマを書き出したことで、当時のイタリア映画界の巨匠ロベルト・ロッセリーニと知り会うこととなる。ロッセリーニ監督といえば、イタリアン・ネオ・リアリズムの巨匠として名を馳せた監督であるが、『無防備都市』(1945年)で脚本の協力をしたのがフェデリコ・フェリーニだったのである。こうして映画界に入ったフェリーニは、何時しか監督デビューする。まもなく『青春群像』(1953年)あたりから評判になり、彼の名声が確立されたのが『道』(1954年)だったという訳だ。

 この『道』は、イタリア国内では左翼思想家から批判され、高く評価されなかったという。それはネオ・リアリスモから脱却できてないからというものであった。 ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカに代表される戦後のイタリア映画の作風と大差ないヒューマニズムに溢れたものであったというのが、理由のひとつに上げられるのであるが、意外にもアメリカでは評価され、アカデミー外国語映画賞を受賞してしまい、日本でも高い評価を得て、ここにフェデリコ・フェリーニの名声が高まったといっても良い。それからフェリーニは『カビリアの夜』(1957年)、『甘い生活』(1959年)、『8 1/2』(1963年)、『魂のジュリエッタ』(1965年)と綺羅星の如く名作をたて続けに発表している。まさにこの頃が最も映画監督として脂が乗り切っていたのだろう。でも作風は徐々に洗練されていくのと引き換えに難解さも含まれていき、そんな頃に私はフェリーニと出会ってしまったのだろう。

 その頃のフェリーニというのは巨匠然として、映画とはこういうものだとばかり我々に語りかけているようであり、何か高尚な舞台芸術を見せ付けられているように思えた。でも難解さを増していたが、彼の根底にあるヒューマニズムと回顧趣味もあって、その後の作品が何処か郷愁を誘う作風に仕上がっていることに私は愛着を覚え、何時の間にか魔術師フェリーニの虜になっていたという訳である。だから今でもフェデリコ・フェリーニは私の好きな映画監督の一人なのである。だから1993年にフェリーニが心臓発作で亡くなった時は、イタリア映画も終わったと思ったものである。この時、フェリーニは国葬され、葬送には彼の友人ニノ・ロータの曲が使われたのである。

 『道』のシーン集

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