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2008.02.11 (Mon)

建国記念の日て何だ

 今日は建国記念の日ということになってるらしい。世界中の国家というものは何処でも建国の日があるだろうが、日本のように古い歴史がある国だと、国の起源というものが判りづらい。そもそも現在の建国記念の日は1966年に制定され、翌年から実施された記念日である。でも戦前には紀元節という名で明治6年から続いていた歴史がある。それがアメリカ進駐軍によって消されていた記念日である。それで考えるのである、日本の起源って何時なんだ?・・・・・・また、そんな大昔のことなんか今さらどうでもいいではないかなんて思ったりする。でも歴史観的な視点から言うと必要なのかもしれない。

 それで『日本書紀』『古事記』等の古い書物を紐解いて明治6年に制定したのが紀元節で、これは初代天皇の神武天皇が即位した日を新暦(グレゴリオ暦)に換算して2月11日を祝日としたことに始まっているのだ。それなら神武天皇って誰だということになるが、神武天皇というのは日向の国、現在の宮崎県で生まれ、神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)と言われ、45歳の時に東征をして現在の奈良県橿原市橿原神宮の地において天皇として即位したということになっている。それが何と紀元前660年1月1日だったのである。その日を日本の起源と定めているだけの話である。つまり神話の世界であって、明らかに神武天皇は架空の人物といわれている。それがどういうわけか、現在の125代今上天皇の祖先ということになっているのであるが・・・・・・あまりこの話はしたくない。

 そして神武天皇は52歳で即位して75年間も在位したという。それで崩御したのが127歳・・・・これが信じられるでしょうか。こういった皇国的な神道教育を戦前の日本は公然と行っていたのだから、笑えるといえば笑えるネエ。

 さて、神武天皇が127歳で崩御して、2代目にすいぜい天皇(漢字が出てこないので仮名で書きます)は在位が32年、3代目の安寧天皇が在位38年、4代目のいとく天皇(これも漢字が出てこない)が在位33年、でもこのあたりだと人間的である。でも5代目の孝昭天皇になると在位82年、6代目の孝安天皇は在位101年、7代目の孝霊天皇も在位75年、まさに超人である。この時代の人はいったい何年生きるのだと考えるのが普通だろう。疑問に思うことの一つであるが、この時代の天皇はみんな驚異的に長生きで、現在の世界長寿記録を持つ人も及ばないということであるが、14代の仲哀天皇までは実在してなかっただろうと言うのが現在では定説である。要は神武天皇以前の神代といわれた神の化身、神そのものといわれた時代と、同様、神武天皇から仲哀天皇までも含めて神話時代といってもいいだろう。

 それなら起源があやしい神武天皇の即位も意味がないことになるが、明治から昭和20年までの国家神道教育の時代には、天皇=神といった時代錯誤の教育を当たり前のように行っていたのであって、天皇が100数十年生きたということを教諭が真顔で教えていたという。それが戦後におけるGHQによる教育改革により、思想、価値観の崩壊とともに紀元節も消失してしまったのである。それならその後の建国記念日の復活とは、どのような意味があるのだろうかと考えてしまう。

 海の中にある島国で、他国の侵略を受けなかったばかりに、一つの国としての歴史が脈々と続いていることは確かであるが、その起源の明確でない紀元節に倣って建国記念の日と定め、それを何の違和感もなく受け止めている我々、国民も不思議な気がする。はたして建国記念の日を設けることに意味はあったのたのだろうかと、最近、考えるようになった。
                                
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2008.02.11 (Mon)

浅田次郎の『カッシーノ!』を読む

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 この『カッシーノ!』という本は、作家の浅田次郎が今から7、8年前、ヨーロッパの各地のカジノを回って奮戦した紀行エッセイである。浅田次郎は自衛隊にいた経験も持つ風変わりな直木賞作家であるが、平成の泣かせ屋と異名をとるほど彼の小説は人々を虜にする。『蒼穹の昴』『鉄道員』『シェエラザード』『壬生義士伝』『中原の虹』等の小説を読んで、ファンになられた方も多いと思う。でも何故に浅田次郎がギャンブル奮戦紀なるものを書いたのか理解に苦しむ諸氏も少なくなかろう。あれだけの文学作品を残すような立派な人が、ギャンブル如きにうつつをぬかすとはと、目くじらをたてられるかもしれない・・・。それが日本人の一般的な良識というものだから仕方が無いが、浅田次郎が何故にここまでギャンブルに夢中になるのかを説いた本が、この紀行エッセイである。でも余り頭の柔軟でない方には薦められない本でもある。ただ、この『カッシーノ!』を読むと、ギャンブルに熱中する浅田次郎の行いに理解できない人もいるだろうが、共感できる人も同様にいるだろうと思う。そもそもギャンブルいうのはどういうものなのかという分析に始まって、彼独自の考察が含まれている。だから単にギャンブルの紀行文というだけではなく、そこには各国の文化、哲学、習慣等に及ぶ幅広い視点から見た比較論なるものも展開されていて、実に興味深い読み物となっている。

 それでは、さっそくであるが、浅田次郎がギャンブラーというものはどのようなものか考察している。それは根っからの投機的性格を持ち、勝とうが負けようが生涯その道を捨てず、ギャンブルを趣味としてではなく仕事としてでもなく、信仰としている人のことをいう。だから賭博者は芥川龍之介がいうように、偶然すなわち神と対峙するものは常に神的威厳に満ちているという。そんなギャンブラーだからカジノの聖地モナコへ乗り込めるのである。そこには日本のパチンコ店の雰囲気ではなく、気位の高さがある。そんな中へ敢然と日本の典型的親父である浅田次郎が臨んだのである。

 そこで浅田次郎がいうところの博才とは何か・・・・。

 其の1、金勘定が出来るか否か。金銭管理能力が無い者はただお金を減らすだけである。
 其の2、基本的性格において冷静沈着であること。熱しやすく冷めやすいタイプは身上を潰すだけである。
 其の3、生まれ持った運の強さを持っている。天性の運の強さを持ってないといけない。

 以上のうちで一つでも該当していたらギャンブルを楽しむべきであり、二つ該当していたら数少ない勝ち組になれ、三つ該当していたら世界カジノ行脚に出てもよいらしい。

 こうして浅田次郎はモナコから始まって、ニース、カンヌ、サン・レモ、バーデン・バイ・ヴィーン、ゼーフェルト、ロンドン、ノルマンディー、ヴィースバーデン、バーデンバーデン・・・国で言うとモナコからスタートしてフランス→イタリア→オーストリア→イギリス→フランス→ドイツと回っている。さて、この間の珍道中、彼なりのアイロニーとペーソスが十分込められていて面白い。巨大なるスロットマシーンとの格闘、カードゲーム、ルーレット、挙句の果てはドーヴィルでの競馬。浅田次郎という人は生まれつきのギャンブラーかもしれない。自身、私の趣味は1にギャンブル、2に温泉、3に音楽鑑賞という。本人曰く、それ以上に読み書きが好きだが、これはなりわいとなってしまって趣味の範疇ではないという。だから仕事を離れ、この世でおよそ能うかぎりの極楽を体現するとなれば、何処かの温泉場で名曲を聴きつつバクチを打つことだという。・・・うーん、驚いた。私も競馬は好きで観戦歴40年以上、馬券歴35年以上なるが(いったい何歳で馬券を買っていたのだろうか・・・・時候だからお許しを)、ここまで好きではない。

 浅田次郎のお祖父さんは、菊花賞のグリーングラスの単勝馬券(1976年の菊花賞。人気が無く大穴だった)を握って死に、お父さんは京王閣(東京の調布にある競輪場)のスタンドで倒れた。従って彼も何処かのカジノのテーブルで血を吐いてくたばるであろうと考えている。だから彼の祖先の遺伝子がそうさせるのかもしれないが、高校生の頃、浅田次郎は欲望に駆られて後楽園の競輪場へ行き、そこで親子三代ハチ合わせという悲劇に見舞われたという話は傑作である。学校に行っているはずの孫と、仕事に行っているはずの父と、ちょっくらタバコを買いに行っていた祖父とが、同じ穴場の窓口に並んだから驚いてしまう。おそらく堅物の両親から生まれた家庭では、バクチなどやる奴はロクな奴じゃないと思われるかもしれない。読んでいて不謹慎な一家だと・・・・・。それが日本人というものであり、一般的な良識というものであろう。でも、私の両親も生真面目で堅物であったが、私は小学生の頃から、競馬中継を観ていたという変わり者ではあった・・・・。
                                
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