2008.02.21 (Thu)
エロル・ガーナーを聴く

ジャズのスタンダード曲は数多い。『聖者の行進』『セントルイス・ブルース』『スターダスト』『A列車で行こう』『シング・シング・シング』『ムーンライト・セレナーデ』『枯葉』『オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート』『アズ・タイムズ・ゴーズ・バイ』『サマータイム』『オーバー・ザ・レインボー』・・・・・数え上げればキリがないが、そんな中でジャズ仲間に最も愛され続けている曲といえば、『ミスティ』ではないだろうか。作曲はかのエロル・ガーナーである。
1954年のことで、エロル・ガーナーは仕事の都合でニューヨークからシカゴに向う飛行機に乗った。そこでエロル・ガーナーは窓の外を眺めていた。でも外は霧に包まれていて視界がまったくなかった。そんな時、ふと旋律が浮かんだという。ガーナーとしては記譜が出来ないから、そのメロディを忘れないためにも、どうにかしてピアノを弾いて曲を録音して残しておかなければならなくなった。それで彼はシカゴに着くなりホテルに直行、そこでようやくピアノを弾いて曲がテープに記録されたという逸話がある。こうして名曲『ミスティ』は誕生した。でも残念ながら、エロル・ガーナー自身は、その曲『ミスティ』ほどの人気が日本ではない。『ミスティ』を作曲した人という程度の認識度でしかなく、その類希に見る職人的なピアノ演奏も、芸術性が薄いというだけであまり評価されないのである。それはピアニストとしてのエロル・ガーナーが持つ特異性から来るもので、いわゆるオーソドックス奏法からかけ離れたリズム感溢れるビハインド・ザ・ビートが、日本人の感性と趣が異なるからに外ならないからだろう。
エロル・ガーナーは1921年生まれで、黒人の家庭にもかかわらず音楽に理解のある恵まれた環境で育っている。父のアーネスト・ガーナーは詩人でピアニストでもあったが、父の兄弟達が正式なピアノ・レッスンを受けていたのに、父のアーネストだけが独学でピアノの奏法を身に付けたのである。だから、その子のエロル・ガーナーまでがいかなる流派にも属さない独自のピアノ演奏方を習得したといえよう。そんなエロル・ガーナーであるが、3歳でジャズやクラシックのレコードを聴きまくり、ピアノで既に真似して弾いていたというから天才的な音感を持っていたのだろう。7歳の時には近所の人々が彼のピアノを聴こうと集まってきたという。そこで彼の母が、エロル・ガーナーを正式な音楽教師につけてレッスンを受けさせようと試みたが、教師の方が逃げ出してしまったという。それはエロル・ガーナーが楽譜を読もうとせず、基本的な知識も運指練習も学ぼうとせず、自分の思いついたコードや、メロディの創作だけに興味を持ったからである。そんな調子だから、エロル・ガーナーは生涯を通して楽譜が読めなかったのである。
以上のような理由からエロル・ガーナーは日本で評価されないピアニストであり、それでいてピアニストの腕としては超一流なのである。彼は左利きで、それがピアノ演奏にも及ぼしていて、左手が強烈なリズムを刻めるのはそのせいでもある。またスローバラード等の曲も素晴らしく、左手のリズムに対して右手のメロディが遅れ気味に出るからビハイド・ザ・ビートと呼ばれるのであるが、これが幸いして独自の魅力となっているのだ。
ところで『ミステイ』という曲は、多くのミュージシャンがカバーしているが、エロル・ガーナーの演奏が1番素晴らしいと思う。この曲は彼が作曲した翌年にジョニー・バークが歌詞をつけ、多くのシンガーも唄っている。このように『ミスティ』は美しい旋律と共に人に愛され続け、曲が飛翔して有名なスタンダード曲として演奏され、聴かれ続けられるようになった。けども作曲者でピアニストのエロル・ガーナーがもっと日本でも当然のように評価されてもいと私は思うのである。
『ワン・ノート・サンバ』を弾くエロル・ガーナー。
サラ・ヴォーンが唄う『ミスティ』
エロル・ガーナーが弾く『ミスティ』
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