2008.02.12 (Tue)
パティ・ペイジを聴く
『テネシー・ワルツ』という曲をご存知だろうか。日本では昔、江利チエミが唄ってヒットしたという。最近ではジャズ・シンガーの綾戸智恵がよく唄っていたので知っている人もいるだろう。だから江利チエミ、綾戸智恵と並べるとジャズの曲かと連想しがちである。でも『テネシー・ワルツ』というのは、テネシーというタイトルからして判るようにカントリー&ウェスタンの曲なのである。
~恋人と『テネシー・ワルツ』を踊った夜、旧友に出会ったので私の恋人を紹介した。すると彼女は、私の恋人を私から盗んでしまった。私はあの夜と美しい『テネシー・ワルツ』を忘れない~
こんな内容の歌なのであるが、これをカントリー・バンドのリーダー兼アコーディオン奏者のピー・ウィー・キングが作曲し、歌手のレッド・スチュアートが作詞して、ピー・ウィー・キングが1948年に唄ったのがオリジナルなのである。でも僅かしかヒットしなかった。だが、カントリー歌手のカウボーイ・コーパスがレコーディングしたところ、これがミリオンセラーを記録。これに触発されて、2年後の1950年、各レコード会社が競作するように色んな歌手に唄わせたのである。そして、その中で、1番売れたのがパティ・ペイジの『テネシー・ワルツ』だったのだ。だから今日、日本人が聴きなれたという『テネシー・ワルツ』というのは、ほとんどがパティ・ペイジの唄っている『テネシー・ワルツ』といってもいいだろう。他のレコード会社も錚々たる歌手に唄わせているのだが、パティ・ペイジのレコードが最も人気を呼んだのである。それは、パティ・ペイジの情感溢れる唄い方と艶のある声に、皆がしびれたということになるのだろうか。現在では『テネシー・ワルツ』といえばパティ・ペイジというぐらい馴染みがある。
パテイ・ペイジは本名をクララ・アン・ファウラーといい、1927年にオクラホマ州で生まれた。11人兄弟の下から2番目で、ハイスクール時代に地元タルサのラジオ局で、ペイジ・ミルク会社提供のカントリー&ウェスタン番組に出演し、その時のスポンサーの名前を芸名にしたのである。その後、タルサ大学に進んでからもラジオで唄っていた。1945年になると編曲者のジャック・レイルに認められジミー・ジョイ楽団に入る。しばらく楽団専属で唄い、2年後にソロ歌手として唄いだし、1950年の『テネシー・ワルツ』の大ヒットで「ワルツの女王」「カントリーの女王」と呼ばれるようになったのである。
現在、パティ・ペイジは表舞台から退いているが、時々、ステージに上がっているという。既に80歳、もう往年の艶っぽくて情緒的な歌声は衰えたものの、もともと唄は上手い歌手で、ジャズ・ナンバーもビートルズ・ナンバーも唄いこなしている。おそらくアメリカで最古参の女性シンガーかもしれない・・・・・。しかし、何時までも我々の耳に残っているのは、あの若い頃の『テネシー・ワルツ』の歌声で、これだけは一生忘れないだろう。
I was dancing with my darling
To the Tennessee Waltz
When an old friend happened to see
I introduced her to my loved one
And while they were dancing
My friend stole my sweetheart from me
I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes I lost my little darling the night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz
『テネシー・ワルツ』を唄うパティ・ペイジ(1980年)
『パティ・ペイジ・ショー』(1950年)
~恋人と『テネシー・ワルツ』を踊った夜、旧友に出会ったので私の恋人を紹介した。すると彼女は、私の恋人を私から盗んでしまった。私はあの夜と美しい『テネシー・ワルツ』を忘れない~
こんな内容の歌なのであるが、これをカントリー・バンドのリーダー兼アコーディオン奏者のピー・ウィー・キングが作曲し、歌手のレッド・スチュアートが作詞して、ピー・ウィー・キングが1948年に唄ったのがオリジナルなのである。でも僅かしかヒットしなかった。だが、カントリー歌手のカウボーイ・コーパスがレコーディングしたところ、これがミリオンセラーを記録。これに触発されて、2年後の1950年、各レコード会社が競作するように色んな歌手に唄わせたのである。そして、その中で、1番売れたのがパティ・ペイジの『テネシー・ワルツ』だったのだ。だから今日、日本人が聴きなれたという『テネシー・ワルツ』というのは、ほとんどがパティ・ペイジの唄っている『テネシー・ワルツ』といってもいいだろう。他のレコード会社も錚々たる歌手に唄わせているのだが、パティ・ペイジのレコードが最も人気を呼んだのである。それは、パティ・ペイジの情感溢れる唄い方と艶のある声に、皆がしびれたということになるのだろうか。現在では『テネシー・ワルツ』といえばパティ・ペイジというぐらい馴染みがある。
パテイ・ペイジは本名をクララ・アン・ファウラーといい、1927年にオクラホマ州で生まれた。11人兄弟の下から2番目で、ハイスクール時代に地元タルサのラジオ局で、ペイジ・ミルク会社提供のカントリー&ウェスタン番組に出演し、その時のスポンサーの名前を芸名にしたのである。その後、タルサ大学に進んでからもラジオで唄っていた。1945年になると編曲者のジャック・レイルに認められジミー・ジョイ楽団に入る。しばらく楽団専属で唄い、2年後にソロ歌手として唄いだし、1950年の『テネシー・ワルツ』の大ヒットで「ワルツの女王」「カントリーの女王」と呼ばれるようになったのである。
現在、パティ・ペイジは表舞台から退いているが、時々、ステージに上がっているという。既に80歳、もう往年の艶っぽくて情緒的な歌声は衰えたものの、もともと唄は上手い歌手で、ジャズ・ナンバーもビートルズ・ナンバーも唄いこなしている。おそらくアメリカで最古参の女性シンガーかもしれない・・・・・。しかし、何時までも我々の耳に残っているのは、あの若い頃の『テネシー・ワルツ』の歌声で、これだけは一生忘れないだろう。
I was dancing with my darling
To the Tennessee Waltz
When an old friend happened to see
I introduced her to my loved one
And while they were dancing
My friend stole my sweetheart from me
I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes I lost my little darling the night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz
『テネシー・ワルツ』を唄うパティ・ペイジ(1980年)
『パティ・ペイジ・ショー』(1950年)
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