2008.02.17 (Sun)
ダイヤモンドS、きさらぎ賞
今日から当ブログに競馬記事を掲載することにしました。考えてみれば、私が一昨年にブログを始めたときというのは、競馬ブログを書いてました。ですが、あることからブログを閉鎖し、再開したのが昨年の9月でした。そして、競馬ブログだけは独立して、別のブログとして書いてました。でも結局、2つのブログを同時に更新することが厳しくなり、どうせならここで競馬の記事も書いてしまおうと思い立ち、遂に掲載することにしました。だけども日本人の中には未だ、競馬はギャンブルだからといって敬遠する人が少なくありません。だから競馬の掲載を故意に控えていたのです。とはいっても私自身、興味あることは記事にしないと自分を騙すことになります。それで今日から競馬も記事として載せることに踏み切ったのであります。ですが、競馬をギャンブルとしてではなく、1つの文化としてスポーツとしてロマンとして採り上げることにします。ですから、今後ともよろしくお願いします。
それで今日の競馬ですが、東京でダイヤモンドS、京都できさらぎ賞が行われたのである。
ダイヤモンドS(Jpn-Ⅲ・4歳以上、芝3400m、14頭)は長丁場。かつての秋の天皇賞を彷彿とさせるレースである。人気はトップハンデのアドマイヤモナーク、以下、コンラッド、ブラックアルタイル、エフティカロスの順。
向こう正面からスタートが切られる。当然のようにスローペースで始まった。まず先頭に立つのはマンハツタンスカイ、2番手にミストラルクルーズ、3番手にトウカイワイルド、4番手に牝馬テイエムプリキュアが続く。その後ろにはゴースウィンド、エフティカロス、そしてブラツクアルタイル、アドマイヤモナークと人気の両馬がいて、エーシンダードマン、ブリットレーンが追走。後方グループにはラムタラプリンス、レーザーズエッジ、コンラッド、チェストウイングといった展開。
正面スタンド前から第1コーナー、第2コーナーと回ったあたりトウカイワイルドが2番手に上がる。レースはスタートからハロン12秒半の平均ラップを刻み、一度、14秒のラップに落ちたが、概ね平均ペースで淡々とレースが運ぶ。
いよいよ3コーナーから4コーナー、長丁場のハンデ戦、ここらあたりで各馬が追い上げにかかる。直線に向くが、まだマンハッタンスカイが先頭。ら2番手にトウカイワイルド。各馬が横に拡がった。あと300m。馬場の中央からトップハンデの7歳馬アドマイヤモナークが抜け出してきた。1頭だけ次元の違う脚色で抜け出してくる。2着争いは大混戦。横に拡がって叩き合う。最内からコンラッド、外の方からレーザーズエッジ、さらに外からエーシンダードマンも伸びてくる。でもアドマイヤモナークは堂々の先頭。2馬身、3馬身差をつけて完勝した。
1着アドマイヤモナーク 3分33秒6、2着コンラッド 2馬身1/2、3着レーザーズエッジ ハナ、4着エーシンダードマン アタマ、5着マンハッタンスカイ 2馬身。
これでアドマイヤモナークは57.5kgを克服し、春の天皇賞に視界良好となったが、本番には当然、ポップロックやマツリダゴッホ、アサクサキングス、ロックドゥカンブ、アルナスラインというメンバーが顔を揃えるのだから戦いは厳しくなると思うが、今日のレースを観る限り面白い1頭になりそうだ。
京都の方はきさらぎ賞(Jpn-Ⅲ・3歳、芝1800m、15頭)が行われた。今年の3歳牡馬、重賞レースごとに勝ち馬が代わる。本当にどの馬が強いのか?・・・・・皆目わからない。それでクラシックの登竜門といわれるきさらぎ賞で、注目のアルカザン、ブラックシェルといったあたりが出走してきたが、この両馬が負けるようだと、ますます今年のクラシック路線は混戦めいて来る。だから重要なレースとなった。
人気はブラックシェル、アルカザン、レッツゴーキリシマ、の順であるが、はたして・・・・・。スタートが切られた。まずメジロガストンとメイショウクオリアがハナを争う。でも強引にメジロガストンが行った。2番手にメイショウクオリアとオースミマーシャルが続く。4番手にはチョウサンデイ、レッツゴーキリシマ、その後ろにスマイルジャック、そらにナムラクレセント、アグネスターチ、アルカザン、レインボーペガサスあたりが続き、その後方にはジェントルフォーク、マッキーバッハ、ヤマニンキングリー、そしてブラックシェル、最後方にダイシンプランである。どうも、この金子真人さんの勝負服を着た武豊が後方に待機すると、どうもディープインパクトを連想するが、こんな後ろで大丈夫かと思ってしまう。ブラックシェルでは上がり3ハロン33秒台の脚なんて使えないと思うが・・・・・・。
1000m通過が1分00秒8とやや遅いペース。でもメジロガストンは後続を引き離しにかかる。馬場も荒れているが、後方の馬は届くのだろうか・・・。いよいよ4コーナーを回って直線へ。ここで懸命に逃げていたメジロガストンが失速。外からレッツゴーキリシマ、スマイルジャックが並んで先頭に立とうとしている。ブラックシェルはまだ後方で大外にコースを選択した。2戦2勝のアルカザンはインコースを通る模様。さあ、いよいよあと200m。このあたりでベリエ騎乗のレインボーペガサスが伸びてきた。先頭はレッツゴーキリシマかスマイルジャックか、それをレインボーペガサスがかわしにかかる。さらにはヤマニンキングリーもやって来る。ブラックシェルは大外でもがいている。アルカザンも伸び脚がもう一息である。結局、混戦を制したのはレインボーペガサスであった。
1着レインボーペガサス 1分48秒8、2着スマイルジャック 3/4、3着ヤマニンキングリー ハナ、4着レッツゴーキリシマ 1/2、5着ダイシンプラン ハナ。
注目されたアルカザンは6着、ブラックシェルは7着。またしても人気薄の馬が勝ってしまった。本当に今年の3歳牡馬は頼りない。長い間、競馬を観てきたが、こんな年も初めてだ。重賞を2勝した3歳馬がいないなんて、いったいどうなっているのだろうか・・・・・。古い話を持ち出して悪いが、かつてのタニノムーティエやキタノカチドキは、この時点でデイリー杯3歳S、阪神3歳S、きさらぎ賞と重賞を3勝していたものだ。もしかしてサンデーサイレンス亡き後、競争馬のレベルの低下が始まったのではないだろうな。もう、そろそろクラシックレースの足音が迫ってきているというのに、一向にダービー馬候補が見えてこない・・・・・。一応、現在のところショウナンアルバがクラシックレース候補1番手としか言えないなあ。
それで今日の競馬ですが、東京でダイヤモンドS、京都できさらぎ賞が行われたのである。
ダイヤモンドS(Jpn-Ⅲ・4歳以上、芝3400m、14頭)は長丁場。かつての秋の天皇賞を彷彿とさせるレースである。人気はトップハンデのアドマイヤモナーク、以下、コンラッド、ブラックアルタイル、エフティカロスの順。
向こう正面からスタートが切られる。当然のようにスローペースで始まった。まず先頭に立つのはマンハツタンスカイ、2番手にミストラルクルーズ、3番手にトウカイワイルド、4番手に牝馬テイエムプリキュアが続く。その後ろにはゴースウィンド、エフティカロス、そしてブラツクアルタイル、アドマイヤモナークと人気の両馬がいて、エーシンダードマン、ブリットレーンが追走。後方グループにはラムタラプリンス、レーザーズエッジ、コンラッド、チェストウイングといった展開。
正面スタンド前から第1コーナー、第2コーナーと回ったあたりトウカイワイルドが2番手に上がる。レースはスタートからハロン12秒半の平均ラップを刻み、一度、14秒のラップに落ちたが、概ね平均ペースで淡々とレースが運ぶ。
いよいよ3コーナーから4コーナー、長丁場のハンデ戦、ここらあたりで各馬が追い上げにかかる。直線に向くが、まだマンハッタンスカイが先頭。ら2番手にトウカイワイルド。各馬が横に拡がった。あと300m。馬場の中央からトップハンデの7歳馬アドマイヤモナークが抜け出してきた。1頭だけ次元の違う脚色で抜け出してくる。2着争いは大混戦。横に拡がって叩き合う。最内からコンラッド、外の方からレーザーズエッジ、さらに外からエーシンダードマンも伸びてくる。でもアドマイヤモナークは堂々の先頭。2馬身、3馬身差をつけて完勝した。
1着アドマイヤモナーク 3分33秒6、2着コンラッド 2馬身1/2、3着レーザーズエッジ ハナ、4着エーシンダードマン アタマ、5着マンハッタンスカイ 2馬身。
これでアドマイヤモナークは57.5kgを克服し、春の天皇賞に視界良好となったが、本番には当然、ポップロックやマツリダゴッホ、アサクサキングス、ロックドゥカンブ、アルナスラインというメンバーが顔を揃えるのだから戦いは厳しくなると思うが、今日のレースを観る限り面白い1頭になりそうだ。
京都の方はきさらぎ賞(Jpn-Ⅲ・3歳、芝1800m、15頭)が行われた。今年の3歳牡馬、重賞レースごとに勝ち馬が代わる。本当にどの馬が強いのか?・・・・・皆目わからない。それでクラシックの登竜門といわれるきさらぎ賞で、注目のアルカザン、ブラックシェルといったあたりが出走してきたが、この両馬が負けるようだと、ますます今年のクラシック路線は混戦めいて来る。だから重要なレースとなった。
人気はブラックシェル、アルカザン、レッツゴーキリシマ、の順であるが、はたして・・・・・。スタートが切られた。まずメジロガストンとメイショウクオリアがハナを争う。でも強引にメジロガストンが行った。2番手にメイショウクオリアとオースミマーシャルが続く。4番手にはチョウサンデイ、レッツゴーキリシマ、その後ろにスマイルジャック、そらにナムラクレセント、アグネスターチ、アルカザン、レインボーペガサスあたりが続き、その後方にはジェントルフォーク、マッキーバッハ、ヤマニンキングリー、そしてブラックシェル、最後方にダイシンプランである。どうも、この金子真人さんの勝負服を着た武豊が後方に待機すると、どうもディープインパクトを連想するが、こんな後ろで大丈夫かと思ってしまう。ブラックシェルでは上がり3ハロン33秒台の脚なんて使えないと思うが・・・・・・。
1000m通過が1分00秒8とやや遅いペース。でもメジロガストンは後続を引き離しにかかる。馬場も荒れているが、後方の馬は届くのだろうか・・・。いよいよ4コーナーを回って直線へ。ここで懸命に逃げていたメジロガストンが失速。外からレッツゴーキリシマ、スマイルジャックが並んで先頭に立とうとしている。ブラックシェルはまだ後方で大外にコースを選択した。2戦2勝のアルカザンはインコースを通る模様。さあ、いよいよあと200m。このあたりでベリエ騎乗のレインボーペガサスが伸びてきた。先頭はレッツゴーキリシマかスマイルジャックか、それをレインボーペガサスがかわしにかかる。さらにはヤマニンキングリーもやって来る。ブラックシェルは大外でもがいている。アルカザンも伸び脚がもう一息である。結局、混戦を制したのはレインボーペガサスであった。
1着レインボーペガサス 1分48秒8、2着スマイルジャック 3/4、3着ヤマニンキングリー ハナ、4着レッツゴーキリシマ 1/2、5着ダイシンプラン ハナ。
注目されたアルカザンは6着、ブラックシェルは7着。またしても人気薄の馬が勝ってしまった。本当に今年の3歳牡馬は頼りない。長い間、競馬を観てきたが、こんな年も初めてだ。重賞を2勝した3歳馬がいないなんて、いったいどうなっているのだろうか・・・・・。古い話を持ち出して悪いが、かつてのタニノムーティエやキタノカチドキは、この時点でデイリー杯3歳S、阪神3歳S、きさらぎ賞と重賞を3勝していたものだ。もしかしてサンデーサイレンス亡き後、競争馬のレベルの低下が始まったのではないだろうな。もう、そろそろクラシックレースの足音が迫ってきているというのに、一向にダービー馬候補が見えてこない・・・・・。一応、現在のところショウナンアルバがクラシックレース候補1番手としか言えないなあ。
2008.02.17 (Sun)
ホーギー・カーマイケルを聴く
ホーギー・カーマイケルというとジャズに分類されるのかかどうか判らないが、とりあえずジャズということにしておくとしよう。
今から40年以上前のことであるが、リーダーズ・ダイジェストという雑誌がアメリカ国民に対して、1番好きな曲は何かという投票を試みたことがある。それによると1番好きな外国の曲が『枯葉』で、アメリカの曲は確か『スターダスト』であった。これは昭和40年頃の投票なので、今となっては古すぎるけども、とにかく今から40年ぐらい前はアメリカ人の好きな曲の№1に選ばれていたのが『スターダスト』だったのである。
私は『スターダスト』という曲を知らなかったが、当時、人気のあったテレビ番組『シャボン玉ホリデー』で、ザ・ピーナッツがエンディングで唄っていた曲であると姉に教えてもらって知った。ところで、来日したホーギー・カーマイケルが、ホテルで、その『シャボン玉ホリデー』を観て、自分の曲が日本で唄われていることを知って驚いたという話を何かの本で読んだことがある。つまりホーギー・カーマイケルというのは『スターダスト』の作曲者として我々は認識しているのである。
ホーギー・カーマイケルは1899年、インディアナ州ブルーミントで生まれる。やがて弁護士になるつもりでインディアナ大学の法科に入る。この時、友人とバンドを結成し、ビックス・バイダーベック(白人ジャズを確立したコルネット奏者)との縁で作曲を始めた。この頃は1920年代で、カーマイケルはトミー・ドーシー、ルイ・アームストロング等とも一緒に仕事をしたというから、若くしてジャズに目覚めたのであろう。またカーマイケルは作曲した曲がミルズ楽譜出版社から出されるという幸運を得た。
カーマイケルは、1926年に大学を卒業し音楽の道に進むか、法律の道に進むか悩んだ挙句、当初はフロリダの法律事務所に就職し弁護士になる道を選んだのである。しかし、好きな音楽の方も捨てきれず、間もなく音楽で食べることを決意する。そんな矢先の1927年夏、ホーギー・カーマイケルは出身校のインディアナ大学を訪れる。ここで彼は夜空にくっきりと散りばめたように煌く星屑を見て、かつての恋人のことを思い出し、浮かんだ旋律を曲にした。それが『スターダスト』だったのである。
この曲は名旋律であるが故に1930年代にアメリカで最も愛された曲となった。その後、歌詞がミッシェル・パリッシュによって加えられスタンダード曲として、後年、多くのアーティストに唄われる事となった。
Sometimes I wonder why I spend the lonely nights
Dreaming of a song the melody haunts my reverie
And I am once again with you when our love was new
And each kiss and inspiration・・・・・
この曲はジャズ、ポップス問わず唄い続けられ、作曲した本人の名前は伝わらなくても、世界中に知れ渡ることとなった典型的な例だろう。こうしてホーギー・カーマイケルは音楽の世界で知れ渡るようになるが、その後も『ロッキン・チェアー』『ジョージア・オン・マイ・マインド』『ニアネス・オブ・ユー』『スカイラーク』等を世に出す。でもホーギー・カーマイケルは、ただ作曲者としてだけでなく、レコーディング・オーケストラを結成し、自らピアノを演奏していたし、ビクターに当時の録音が多数残っている。それで、その後にテレビ、ラジオ、映画のパーソナリティや役者として出演していたという経緯もある。そういえばテレビ西部劇『ローハイド』にウィッシュボーン爺さんの役で出ていたり、かつて日本で一世を風媚した『ララミー牧場』にもウィリー爺さんとして出ていたという。
このテレビ西部劇『ララミー牧場』は、1950年代末期から1960年代初頭にかけて日本のテレビでも放映されていた人気ドラマで、私もよく覚えている。
草は青く 山遠く ここは西部の 大草原
たそがれの 牧場に のぼる煙り なつかしや
俺はカウボーイ ラー ララミー ララミー ララミー
若い人には何のことか判らないと思うけども、50代の人には判る筈です。『ララミー牧場』の主題歌で、この歌詞と旋律は我々の年代以上の人間にとってはとても懐かしいものである。主演はジェス役のロバート・フラーで、悲しいかな日本でしか人気が出なかったというドラマである。また、この番組のナビゲーターが若き日の淀川長治だったことも思い出される。
何故に映画評論家の淀川長治が『ララミー牧場』のナビケーターを引き受けたかというと、実はホーギー・カーマイケルのファンであったからというのは、後年知ることになる訳だが、これで顔が売れた淀川長治は、日曜洋画劇場で一躍サヨナラおじさんとして有名になるのだから、世の中、何がきっかけとなるか判らない・・・・・。
こうしてホーギー・カーマイケルは日本人にとっても、馴染みある人なのであるが、意外にも知られてない。つまり曲だけが一人歩きし、本人以外の人が唄って、彼の多くの曲が知れ渡ったという稀有な人なのである。『スターダスト』『ジョージア・オン・マイ・マインド』なんてスタンダード曲もナット・キング・コールやレイ・チャールズで知れ渡っている。でもホーギー・カーマイケルは知られていない。でも永遠に作曲者として、ホーギー・カーマイケルの名は残るのだ・・・。しか、最近は『スターダスト』を知る人も少なくなった。曲にも流行廃りがあるのだから仕方ないとしても、良い曲は何時までも残って欲しいとは思う・・・。
ホーギー・カーマイケルのピアノ演奏で聴く『スターダスト』(動画はなし)
ナット・キング・コールが唄う『スターダスト』
『ジョージア・オン・マイ・マインド』を唄うレイ・チャールズ
ドラマの中でピアノを弾いて唄うホーギー・カーマイケル
今から40年以上前のことであるが、リーダーズ・ダイジェストという雑誌がアメリカ国民に対して、1番好きな曲は何かという投票を試みたことがある。それによると1番好きな外国の曲が『枯葉』で、アメリカの曲は確か『スターダスト』であった。これは昭和40年頃の投票なので、今となっては古すぎるけども、とにかく今から40年ぐらい前はアメリカ人の好きな曲の№1に選ばれていたのが『スターダスト』だったのである。
私は『スターダスト』という曲を知らなかったが、当時、人気のあったテレビ番組『シャボン玉ホリデー』で、ザ・ピーナッツがエンディングで唄っていた曲であると姉に教えてもらって知った。ところで、来日したホーギー・カーマイケルが、ホテルで、その『シャボン玉ホリデー』を観て、自分の曲が日本で唄われていることを知って驚いたという話を何かの本で読んだことがある。つまりホーギー・カーマイケルというのは『スターダスト』の作曲者として我々は認識しているのである。
ホーギー・カーマイケルは1899年、インディアナ州ブルーミントで生まれる。やがて弁護士になるつもりでインディアナ大学の法科に入る。この時、友人とバンドを結成し、ビックス・バイダーベック(白人ジャズを確立したコルネット奏者)との縁で作曲を始めた。この頃は1920年代で、カーマイケルはトミー・ドーシー、ルイ・アームストロング等とも一緒に仕事をしたというから、若くしてジャズに目覚めたのであろう。またカーマイケルは作曲した曲がミルズ楽譜出版社から出されるという幸運を得た。
カーマイケルは、1926年に大学を卒業し音楽の道に進むか、法律の道に進むか悩んだ挙句、当初はフロリダの法律事務所に就職し弁護士になる道を選んだのである。しかし、好きな音楽の方も捨てきれず、間もなく音楽で食べることを決意する。そんな矢先の1927年夏、ホーギー・カーマイケルは出身校のインディアナ大学を訪れる。ここで彼は夜空にくっきりと散りばめたように煌く星屑を見て、かつての恋人のことを思い出し、浮かんだ旋律を曲にした。それが『スターダスト』だったのである。
この曲は名旋律であるが故に1930年代にアメリカで最も愛された曲となった。その後、歌詞がミッシェル・パリッシュによって加えられスタンダード曲として、後年、多くのアーティストに唄われる事となった。
Sometimes I wonder why I spend the lonely nights
Dreaming of a song the melody haunts my reverie
And I am once again with you when our love was new
And each kiss and inspiration・・・・・
この曲はジャズ、ポップス問わず唄い続けられ、作曲した本人の名前は伝わらなくても、世界中に知れ渡ることとなった典型的な例だろう。こうしてホーギー・カーマイケルは音楽の世界で知れ渡るようになるが、その後も『ロッキン・チェアー』『ジョージア・オン・マイ・マインド』『ニアネス・オブ・ユー』『スカイラーク』等を世に出す。でもホーギー・カーマイケルは、ただ作曲者としてだけでなく、レコーディング・オーケストラを結成し、自らピアノを演奏していたし、ビクターに当時の録音が多数残っている。それで、その後にテレビ、ラジオ、映画のパーソナリティや役者として出演していたという経緯もある。そういえばテレビ西部劇『ローハイド』にウィッシュボーン爺さんの役で出ていたり、かつて日本で一世を風媚した『ララミー牧場』にもウィリー爺さんとして出ていたという。
このテレビ西部劇『ララミー牧場』は、1950年代末期から1960年代初頭にかけて日本のテレビでも放映されていた人気ドラマで、私もよく覚えている。
草は青く 山遠く ここは西部の 大草原
たそがれの 牧場に のぼる煙り なつかしや
俺はカウボーイ ラー ララミー ララミー ララミー
若い人には何のことか判らないと思うけども、50代の人には判る筈です。『ララミー牧場』の主題歌で、この歌詞と旋律は我々の年代以上の人間にとってはとても懐かしいものである。主演はジェス役のロバート・フラーで、悲しいかな日本でしか人気が出なかったというドラマである。また、この番組のナビゲーターが若き日の淀川長治だったことも思い出される。
何故に映画評論家の淀川長治が『ララミー牧場』のナビケーターを引き受けたかというと、実はホーギー・カーマイケルのファンであったからというのは、後年知ることになる訳だが、これで顔が売れた淀川長治は、日曜洋画劇場で一躍サヨナラおじさんとして有名になるのだから、世の中、何がきっかけとなるか判らない・・・・・。
こうしてホーギー・カーマイケルは日本人にとっても、馴染みある人なのであるが、意外にも知られてない。つまり曲だけが一人歩きし、本人以外の人が唄って、彼の多くの曲が知れ渡ったという稀有な人なのである。『スターダスト』『ジョージア・オン・マイ・マインド』なんてスタンダード曲もナット・キング・コールやレイ・チャールズで知れ渡っている。でもホーギー・カーマイケルは知られていない。でも永遠に作曲者として、ホーギー・カーマイケルの名は残るのだ・・・。しか、最近は『スターダスト』を知る人も少なくなった。曲にも流行廃りがあるのだから仕方ないとしても、良い曲は何時までも残って欲しいとは思う・・・。
ホーギー・カーマイケルのピアノ演奏で聴く『スターダスト』(動画はなし)
ナット・キング・コールが唄う『スターダスト』
『ジョージア・オン・マイ・マインド』を唄うレイ・チャールズ
ドラマの中でピアノを弾いて唄うホーギー・カーマイケル
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