2008.02.05 (Tue)
フランク・シナトラを聴く
エンターティナーというのはフランク・シナトラのような人を言うのかもしれない。歌えて演じて人気もある。私が初めてフランク・シナトラを知ったのは大ヒット曲『夜のストレンジャー(Stranger in the Night)』を聴いてからである。1966年のことだと思うけど、ラジオでよく流れていた。当時はビートルズが来日した頃で、私が聴く曲といえば明けても暮れてもビートルズだった。そんな或る日、突然のように年輩の人の渋い声で
Stranger in the night
Exchanging glances
Wond'ring in the night
What were the chances
We'd be sharing love
Before the night was through~
と言うように聴こえてきた。私は「この人誰?」と姉に聞いた。すると高校生の姉は「フランク・シナトラ」と答えた。この時がフランク・シナトラという人の名前を意識した最初の時であった。
それからしばらくのことであった。今度はナンシー・シナトラという女性歌手が歌った『シュガータウンは恋の町』という曲を聴いて、私は似たような名前の人がいることを知った。そして、さらに1年後のことである。今度はフランク・シナトラがナンシー・シナトラとデュエットした『恋のひとこと(Something Stupid)』という曲がヒットしていた。また私は姉に聞いた。「ナンシー・シナトラって、フランク・シナトラと夫婦?」「違う、娘や」・・・・こうして親子でシンガーとして活躍していることを知った。でも、この頃は娘のナンシー・シナトラの方がヒットチャートを賑わしていたように思う。現にナンシーは、この1967年の夏、映画『007は二度死ぬ』の主題歌『You Only Live Twice』もヒットさせている。
その頃、フランク・シナトラというのは、私自身、余り馴染みがなかった。だが、姉に言わせると戦前からアメリカで大変人気のあったシンガーで、映画も多数出ているし、映画『地上より永遠に』では、アカデミー賞助演男優賞を受賞しているという。つまり歌っても演技させても素晴らしいということで、エンターティナーとしてもずば抜けていることになる。それで私は、フランク・シナトラという人を再認識したのであるが、その数年後にフランク・シナトラのテーマソングと言ってもよい『マイ・ウェイ』をレコーディングする。これで私の中のフランク・シナトラ像が出来上がってしまったと言ってもよいだろう。
フランク・シナトラは1915年、イタリア移民の子としてニューヨーク郊外で生まれ、23歳の1939年には初レコーディングしている。後に有名なトミー・ドーシー楽団で歌い、その後に独立。甘い声でバラードを歌い10代の女性を中心に、アイドル並みの人気を得て「ザ・ヴォイス」という称号を与えられた。戦後は一時期低迷したが、1950年代にはジャズ、バラードを歌い人気が復活。その後にサミー・デイヴィス・ジュニア、ディーン・マーティン、ピーター・ローフォード等とフランク・シナトラ一家を組んで、テレビや映画、ステージ等で大活躍したのである。フランク・シナトラはポップス歌手であるが、ジャズ歌手としても優れ、晩年はロックにも挑戦しようとビートルズ・ナンバーを歌っていた。
その後のフランク・シナトラはよく知らないが、60代後半になって『ニューヨーク・ニューヨーク』を歌いヒットさせたのである。この曲は今やニューヨークのテーマソングとして定着し、ヤンキー・スタジアムでは、試合終了後に何時もシナトラの歌う『ニューヨーク・ニューヨーク』が流されるのである。そんなアメリカを代表するシンガー、フランク・シナトラも年老いて、1998年5月14日、心臓発作により亡くなった。82歳であったが、まさにアメリカの顔として、エンタティナーとして、長い間、君臨し続けたフランク・シナトラである。
既にシナトラが逝って10年、現在、シナトラに匹敵するほどのエンタティナーはいないし、アメリカの音楽界も小粒になってしまった。それほどにシナトラの功績は大きかったのかもしれない。
『夜のストレンジャー(Stranger in the Night)』を歌うシナトラ(動画はなし)
娘のナンシー・シナトラと『恋のひとこと(Something Stupid)』を歌うシナトラ(動画はなし)
『マイ・ウェイ』を歌うフランク・シナトラ。
『ニューヨーク・ニューヨーク』を歌うシナトラ(動画はなし)。
Stranger in the night
Exchanging glances
Wond'ring in the night
What were the chances
We'd be sharing love
Before the night was through~
と言うように聴こえてきた。私は「この人誰?」と姉に聞いた。すると高校生の姉は「フランク・シナトラ」と答えた。この時がフランク・シナトラという人の名前を意識した最初の時であった。
それからしばらくのことであった。今度はナンシー・シナトラという女性歌手が歌った『シュガータウンは恋の町』という曲を聴いて、私は似たような名前の人がいることを知った。そして、さらに1年後のことである。今度はフランク・シナトラがナンシー・シナトラとデュエットした『恋のひとこと(Something Stupid)』という曲がヒットしていた。また私は姉に聞いた。「ナンシー・シナトラって、フランク・シナトラと夫婦?」「違う、娘や」・・・・こうして親子でシンガーとして活躍していることを知った。でも、この頃は娘のナンシー・シナトラの方がヒットチャートを賑わしていたように思う。現にナンシーは、この1967年の夏、映画『007は二度死ぬ』の主題歌『You Only Live Twice』もヒットさせている。
その頃、フランク・シナトラというのは、私自身、余り馴染みがなかった。だが、姉に言わせると戦前からアメリカで大変人気のあったシンガーで、映画も多数出ているし、映画『地上より永遠に』では、アカデミー賞助演男優賞を受賞しているという。つまり歌っても演技させても素晴らしいということで、エンターティナーとしてもずば抜けていることになる。それで私は、フランク・シナトラという人を再認識したのであるが、その数年後にフランク・シナトラのテーマソングと言ってもよい『マイ・ウェイ』をレコーディングする。これで私の中のフランク・シナトラ像が出来上がってしまったと言ってもよいだろう。
フランク・シナトラは1915年、イタリア移民の子としてニューヨーク郊外で生まれ、23歳の1939年には初レコーディングしている。後に有名なトミー・ドーシー楽団で歌い、その後に独立。甘い声でバラードを歌い10代の女性を中心に、アイドル並みの人気を得て「ザ・ヴォイス」という称号を与えられた。戦後は一時期低迷したが、1950年代にはジャズ、バラードを歌い人気が復活。その後にサミー・デイヴィス・ジュニア、ディーン・マーティン、ピーター・ローフォード等とフランク・シナトラ一家を組んで、テレビや映画、ステージ等で大活躍したのである。フランク・シナトラはポップス歌手であるが、ジャズ歌手としても優れ、晩年はロックにも挑戦しようとビートルズ・ナンバーを歌っていた。
その後のフランク・シナトラはよく知らないが、60代後半になって『ニューヨーク・ニューヨーク』を歌いヒットさせたのである。この曲は今やニューヨークのテーマソングとして定着し、ヤンキー・スタジアムでは、試合終了後に何時もシナトラの歌う『ニューヨーク・ニューヨーク』が流されるのである。そんなアメリカを代表するシンガー、フランク・シナトラも年老いて、1998年5月14日、心臓発作により亡くなった。82歳であったが、まさにアメリカの顔として、エンタティナーとして、長い間、君臨し続けたフランク・シナトラである。
既にシナトラが逝って10年、現在、シナトラに匹敵するほどのエンタティナーはいないし、アメリカの音楽界も小粒になってしまった。それほどにシナトラの功績は大きかったのかもしれない。
『夜のストレンジャー(Stranger in the Night)』を歌うシナトラ(動画はなし)
娘のナンシー・シナトラと『恋のひとこと(Something Stupid)』を歌うシナトラ(動画はなし)
『マイ・ウェイ』を歌うフランク・シナトラ。
『ニューヨーク・ニューヨーク』を歌うシナトラ(動画はなし)。
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